姉夫婦への憎しみが消えません。
昨年の夏に一度妊娠を経験し、今の旦那さんと結婚することになりました。
姉は病院に着いてきてくれたため出産予定日を知ってるにもかかわらず結婚式を予定日近くに設定しました。舞い上がっていて私のことなど考えていなかったようです。
そこで母が日取りの変更をお願いしたのですが、なんでこっちが変えないといけないんだ!と姉や義兄に散々罵られ、謝れと言われこっちは順序踏んでるのに、、、今は妊娠してほしくなかったとまで言われました。喜びや幸せを全部踏みにじられたような気持ちでした。
姉からはしばらくして言いすぎたと謝罪はありましたが、義兄からはありません。30を越えてるくせにその結婚式で両親が謝ってきました。
口は悪いけど根はいい子だからと、
根が良ければ妊娠にあんな言葉を浴びせられるのでしょうか?
その後私の妊娠は病気だとわかり二度の手術、もう身も心もボロボロになり本当に苦しい毎日でした。友人の妊娠や出産も喜べないほどに私の心は荒んでおりました。
二度目の妊娠は流産。
それをよそに彼らは普通に妊活をして妊娠して姪を出産。なぜあんな言葉を浴びせた彼らが何事もなかったかのように命を授かったのか私は憎くてたまりません。
私の両親も初孫に大喜び、私たち夫婦の悲しみや苦悩は忘れ去られてしまいました。
姉は私が許してくれていると思っているようですが、私は彼らから言われた言葉を忘れ許すことはできません。
姪も全く可愛く思えません。
子供に罪はないですが、写真や動画が送られてくるたびに不快な気持ちになります。
姉とは喧嘩をしないほど仲良しで2人で遊ぶことも多かったのに義兄と結婚してからは変わってしまいました。
私たち夫婦は姉と義兄のことが大嫌いです。
どうか闇に包まれる前に私を助けてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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無明の闇
ご相談拝読しました。
辛い思いを経験されましたね。悔しい思いもされましたね。身も心もボロボロになるまで本当によく頑張って抱えてこられました。これから少しずつ整理していきましょうね。
あなたの素晴らしい所は「私の心は荒んでおりました。」「どうか闇に包まれる前に私を助けてください。」とおっしゃるように、けして自分が「正しい」とは思っていないという事。むしろ闇に包まれていて…本来あるべき状態ではないという様に自覚されているということです。
自覚はしているけど、どうしても喜ぶべきことを喜べず、悲しむべきことを悲しめない…だから余計苦しいこともあるかもしれません。
仏教では人間はみんな闇に包まれていると説きます。その闇を「無明(むみょう)の闇」と言います。
「無明」とは「明るくない=暗い=真実に暗い」という意味です。なぜ暗いかというと「自己中心的な考えで視界が覆われてしまい真実を真実として見れないから」です。
だから妬みや僻みや比べる心に囚われてしまう。そして喜ぶべきことを喜べず、悲しむべきことを悲しめない。そういう私たちの姿を憐れんでくださるのが仏様の「大悲(だいひ)」という「はたらき」です。
「悲しむべきことを悲しめないという悲しみ」を抱える人間を慈悲の心で包んでくださいます。
その時、私たちはいかに自分が「無明の闇」に包まれていたかを知るのです。「無明の闇」が中々晴れなくても、「無明の闇」を闇として自覚できたならば、そこに確かに仏様のはたらきがあり、そして自分の在り方も明らかになってくることでしょう。自分で自分の姿は見えませんからね。
辛い経験をされたあなた達夫婦だからこそ、お姉様夫婦の妊娠出産がいかに喜ばしいことなのかは本当はわかっていることでしょう。ご両親の喜びもどれほどのものかお分かりのことでしょう。
それを喜べないのは「無明の闇」に包まれているからです。
ここまで話しましたが、私は何もお姉様夫婦を許しなさい、ご両親を許しなさい、お姉様夫婦の出産を喜びなさいと言いたいのではありません。
ただ、自分の姿がどのようなものか気づいてください、ということです。気づいたあなたがどう振舞うかはあなた次第です。
仏様は「そのままでいいんだよ」とおっしゃります。「無明の闇」を抱えたこの私が「そのままでいい」と許されるからこそ、自分の在り方を問うことができるのです。
質問者からのお礼
ここまで人を憎いと思ったことがなく、
自分の中でも気持ちの整理が追いついておりませんでした。
目を通させていただいて涙が出ました。
少し気持ちが楽になったように感じます。
本当にありがとうございました。