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駄目な親です

回答数回答 2
有り難し有り難し 101

以前にも何度か質問しています。
娘が長く続けていたスポーツを辞める決断をしました。
成長期にも関わらず理不尽なダイエットを強いられ、コーチからのいじめにも似た指導に、自分の将来を考えて、続ける意味が無いと考えたようです。
辞めると決めてからも大会に出なくてはならず、コーチの態度が変わる中も淡々と練習に通っていました。
少しでも迷いがあったら、続けるよ。
その方がコーチもみんなも喜ぶし、私も楽だから。
でも続ける気はないから。
と言っておりました。
きっちりと責任を果たし、チームメートに悲しまれ、労われ、感謝されて最後の大会を終えました。よくやったと思います。

クラブの指導や態勢にも問題がありましたし、娘以外にもダイエットだけではなく、精神的に壊されて何人か辞めております。

私も娘を応援するつもりでいます。

でも本当に辛い。
本音を言えば、続けて欲しかった。
幼稚園からやっており、親もかなりな部分に関わらなくてはいけなく、一緒に頑張っておりました。
途中で辞める事など考えた事が無かったのです。
メンバーには、努力して上手くなり、学校の勉強も頑張っている子もいます。
娘なりに、学校の勉強の事も考えて決めた事ではあるのですが、
やはり、辛い事から逃げたのではと思ってしまいます。

娘の人生であり、私の人生ではありません。
娘自身が決めた事だから、見守るつもりです。
でも、辛い。悲しい。
周りの人誰にもこんな気持ちは話が出来ません。

ダメダメな母の私にお叱りの言葉をかけて下さい。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

本当にダメ親です。

今までの質問を全部読み返してきました。
自分がヤバい母親だということをそろそろ本気で自覚した方がいいと思います。
「娘が、娘が」とか言ってますが、娘が可愛いんじゃない。
アンタはあんた自身が可愛いだけ。
それは愛とは言わない。
成長期に無理なダイエットをすれば、20過ぎて骨粗しょう症になったり、子供が授かれなくなったり人生に様々な支障が出てくるもの。
名誉や名声より娘の健康を優先させるのが母親というもの。
あなたは自分の娘を使って偉くなりたいだけでしょう。普通の愛ある母親であればとっくに気づいてやめさせている。
あなたは守るものを間違えています。
娘の健康・幸せではなく、娘が成功することを守ろうとしているいやらしさがある。サイテーっすわ。
娘さんはすでにさんざん、あなたの期待に押しつぶされて苦しみ続けるのではないでしょうか。子供というものは親のガッカリ感、表情、態度を敏感に読み取り苦しんでいるのです。
あなたの顔色をうかがって、期待に応えようと本当に言いたいことを押し殺しているのでは?
仮にオリンピック選手になる・ならないの境目であったとしても私は絶対にあなたのように続けさせるようなことはしません。
あなたはずっと同じ質問をしています。都合のいい回答を待っているだけでしょう。それもかなり人として悪どいと思います。
しかも「娘が娘が」「娘に頑張ってほしい」とか「娘が心配だ」とか自分が汚れないようにキレイない言葉を使って、テメーのエゴを押し付けている。そんなサイテーの母親だということを最低30%くらいは自覚をした方がいいと思います。
そういうのを毒親という。毒親の自覚もなければ決して認めもしないでしょうが。 

…って、私がお嬢さんだったらそう思います。

言えないお嬢さんの気持ちを汲んで、その黒いエゴを今日から卒業した方がいいでしょう。
言いたくないですが、いう人がいないので言っておきます。
お嬢さんをあなたのコンプレックスや自分の人生の不幸解消のための道具にしてはいけない。
前からずっと同じ質問ということは誰の何をやっているのか。娘よりあなたのことをやっているだけ。
ぼーさんから都合のいい言葉を言ってもらって正当化したいだけじゃないでしょうか。
それが、あなたのエゴ。ドエゴ。苦しみの根源です。
娘を愛するということは、私はこうしたいよりも娘の選択を尊重することです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

幽霊

”途中で辞める事など考えた事が無かったのです”
初期設定がそもそも間違っていましたね。
【縁】があれば、そのスポーツに出遇い、
【縁】が続けば、そのスポーツを続けられ、
【縁】が尽きれば、そのスポーツは継続できなくなる。
これを仏教では、命の生き死に喩えて【生死】(しょうじ)といいます。

あなたの娘さんは、大したものです。
よほど一生懸命に取り組んできたのか、じつに潔い辞めっぷりだったと思います。

ところで、お母さんは過去にいつまで取り残されているつもりですか?娘さん本人は、すでに次のステージに進んでいったのでは?

辞めた事を悔やむより、今まで続けてこられた事に感謝してはいかがでしょうか?

未練と悔恨にまみれていつまでも地に足がつかないのを【幽霊】といいます。

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おきもち

個別相談可能
【公認心理師】 【レンタルお坊さん】活動中。 とりあえず何でも相談してください。 でも、悪い事とやりたくないことはやりません。 https://www.facebook.com/rental.monk rental_monk hasunoha.tenrakuin@gmail.com
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ