佛說阿彌陀經の後半とは
浄土宗では佛說阿彌陀經の後半部分のみをお上げする場合があるということをネットで見かけました。
そこで疑問に思ったのですが、その後半というのは「舍利弗如我今者讚歎阿彌陀佛不可思議功德」から最後の「作禮而去佛說阿彌陀經」までということでよいのでしょうか?
それとも(六方諸仏が証誠する対象が明確になる)もう少し手前から読み始めるのでしょうか?
さらに、序分は不要なのかという疑問も湧き上がってきました。
このような疑問を感じたのは、時間の無い時のお勤めに、という邪な理由も多少ありますが、ボケ防止(^^;)に佛說阿彌陀經を覚えようと思い立ったというところにあります(誦経よりも読経が良いということは聞き及んでいるのですが、経本のないところでも時間があればお上げできるというところに魅力を感じています)。 そして、後半部分の方が覚えやすいということもあり、まず手始めに後半を、、、と思ってお尋ねした次第です。
よろしくお願いいたします。
南無阿弥陀佛
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
拝読させて頂きました。
なるほど後半部は六方の諸仏の讃歎を表しております。確かに覚えやすいと思いますが、やはり最初の部分からおとなえなさって頂きたいです。
やはり仏様のおとなえなさったことですからね。
だから仏説ですからね。
前半の極楽のありようや皆と一緒に極楽へ往生させて頂けることが記されておりますから本当に重要かと思います。
とはいえあなたのお好きな通りにおとなえなさり覚えて下さいね。
どうぞこれから日々の生活の中でおとなえなさりお念仏生活なさって下さいね。
ぜひ覚えて下さい
すべて、一向寺殿の書かれてる通りです。
一向寺殿の言葉が、心にしみました。
と、質問者のような回答を書きましたが・・・
最初から最後まで、きっちりと唱えていただきたいと願います。
私は朝のお勤めでは、仏説阿弥陀経は全部読みます。
短縮する必要がどこにあるのかわかりませんので。
ただ、うちの宗派は短縮しているのを見かけます。
まさにあなたの示された部分を、僧侶の集まりで読まされたことがあります。
理由は聞く気にもなりませんが、おそらく覚えやすいのもあるでしょうが、法要の時間を調節してるのではないかと、私は思っております。
他でも、そんな話をを聞きました。
ああ・・・
こんな事書くと、あとが面倒だろうな。
まあ、れっきとしたお坊さんの集まりで読まれているので、あなたのやりかたは間違えではないのでしょう。
しかし、序文はとても必要ですよ。
私の場合、ここがなければ、なにもないと思っております。
まず手始めに・・・・
頑張って覚えて下さい。
ただ、正式にお経を読む時は、経本を見ながら読みます。
覚える事よりも、経本に書いてある内容を理解しながらというのが、本来の在り方です。
決してあなたを否定している訳ではありません。
しかし阿弥陀経半分でも読めたらカッコいいじゃないですか。
質問者からのお礼
Kousyo Kuuyo Azuma様
お答え、ありがとうございます。
前半部分の重要性を再認識させて頂きました。質問でも書きましたが、いきなり「六方の諸仏が讃えてる」というところから読み始めても、何を讃えているのかが分かりませんよね。
実を言うと前半も憶えようとしているのですが、「其佛國土」と「彼佛國土」をよく間違えるので、「彼佛光明無量」あたりで壁に突き当たっている状態だったりします。
しかし、やはり佛說、不可分なものというKousyo Kuuyo Azuma様の教えに勇気づけられ、再び頑張ってみたいと思います。
ありがとうございました。
南無阿弥陀佛
海老原学善様
励ましの言葉、そして勇気の要るお答え、ありがとうございます。
部分だけお上げするより、ちゃんとすべてをお上げするのが正しいことのように思えてきました。
ご先祖様がカッコいいと思ってくださるかどうかは分かりませんが、頑張って憶えていきたいと思います。
南無阿弥陀佛