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因果は、あるのでしょうか?

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有り難し有り難し 21

ご質問、宜しくお願い致します。
ここ、数年なのですが、年末、年始とかに、絶対に、会いたく無い人に、バッタリと、偶然にも会ってしまう事があります、何故、今なの?という感じです、又、身の周りに、あの人とだけは、縁を断ち切りたいと願っているにもかかわらず、不思議と、その人がらみの人が私の近くに何人かいるという、本当に、嫌になります、何かの、因果関係があるのでしょうか、毎日が、憂鬱です


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

因果とは何でしょうか?

因果とは原(因)と結(果)です。

ものごとには原因があって、そして条件(縁)がととのって。結果が生まれます。

縁を断ち切りたいと願う対象の人がらみの人が不思議と近くに何人かいるとのことですが、近くにある関係の中の人を人は嫌いになったり好きになったりするのですから、そういうこともあるでしょう。
関係のない人は嫌いになりようがありませんからね。

今、ここでミーコさんは私と出会いましたがそれは「なぜ」でしょうか?

それはミーコさんにお悩みがあったという原因があり、ハスノハという場があったという縁があり、ミーコさんが質問をしたという原因があり、私が回答僧をしていたという縁があり、ミーコさんの質問のタイミングと私がハスノハを閲覧するタイミングが重なったという縁があり…、まあ数えだすときりがない因と縁がととのってのわけですが、それでもその相手が「なぜ」私かという説明はつきません。「たまたま」です。
この「たまたま」とは「不思議」なご縁としか言いようがありません。この「不思議」とは「運命」とか「神仏のはからい」とかそういう意味ではなく、数々の因縁がととのってのことという道理はわかるけれども、その因縁全てを人間の頭で思いはかる(=思義する)ことはできない(=不可)という意味です。
わけわからないのではなく、わけはわかるけど追いつかない・かなわない・思義できない、という意味で不思議とか不可思議と言います。

私たちは不思議と嫌いな人に出会ってしまうわけですが、それは避けられない苦しみの一つとして「怨憎会苦」と説かれます。
その原因は嫌いな人がいるからではなく、この私に「嫌う心」があるからです。

人は自分の頭のおいつかない「不思議」なご縁に、えらんでいただいたカテゴリのような「運命・見えない力」というようなものを期待したり、逆にそれを恐れたりしますが、それは説明がつかないものに勝手に自分の分かる範囲の説明をつけているに過ぎません。

「なぜ」という問題は「不思議」で「たまたま」としか言いようがありません。
そこに意味や解釈を持ち込むなとは言いませんが、どうせ持ち込むのならよい意味を持ち込むことをオススメします。
たとえば月並みなものなら「私を成長させるため」とか…。う~ん、やっぱり意味にとらわれず不思議なものは不思議としておけるほうが賢明でしょうかね。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
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