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死後、先に逝った方と再会できるのでしょうか?

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有り難し有り難し 25

以前、猫を虐待して殺してしまい、どのように自分に罰を与えるべきかと相談させていただいた者です。

その後も毎日、私が殺した猫達を思い出し、罪悪感に押し潰されそうになるとともに、回答していただいたお坊様のお言葉を胸に、反省し、少しずつですが罪ほろぼしをしていました。

自殺も考えたこともありますが、死んで楽になるのはズルいとか、自殺は私が手にかけた猫達に対する冒涜になると、苦しくとも生きようと思っていました。

昨年のことになりますが、健康診断で癌が見つかりました。

自分への罰で悩んでいたところ、天から下された罰ですので、治療することなく、猫達が味わった苦しみを少しでも感じながら死を迎えようと思っています。
進行具合から死はまだまだ先でしょうが、最近は澄みきった気持ちで、身の回りの整理を行っているところです。

ところが、どうしても気になり出したのが、死後、私が殺した猫達に会えるのかということです。

私は当然に地獄に行くのでしょうが、そのような者が天国にいる猫達に一目だけでも会えるのでしょうか?
また、会うことが可能だったとして猫達は自分を殺した私に会ってくれるのでしょうか?
会えない場合、何とかしてメッセージを伝えることはできるのでしょうか?

何とかして直接謝りたいのです。

何度も繰り返された質問でしょうが、どうしても気になり質問させていただきました。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

菩薩の修行をする

自身が成仏させるべきこころは自身のうちにあり。
ネコを殺した。
悪いと思う。
苦しむ心は汝が胸にあり。
そこがネコ殺し地獄の場となって地獄の業火による苦しみを味わい続ける。
そこが救済を求める地獄であり、そこに救うべき衆生があらわれる。
ゆえにその地獄の衆生たちを救い上げる為にこそ、菩提心をおこし、生きて猫たちの精霊(汝がうちにあり)を供養せんと発願し、仏道に精進し仏法をまなぶ中で菩薩の行を修するのである。
「仏祖憐みのあまり広大の慈悲門を開きおけり。
これ一切衆生をして苦を除き、安楽の法門へと導かんがためなり。」
懺悔の門を唱え、己の我見・妄執を離れ正覚を求める。
真に懺悔するというは謝ればよいということばかりではない。
自身が改められゆくことである。
一、十、百の大罪あらば、かりにそれを償うことができずとしても、菩提心百千万ふるい起こして、世の一切衆生を先に助け救わんと発願し、菩薩の行を報恩行、懺悔の行として行う。
菩薩の行とは具体的には布施、愛語愛行、利他利人の行、自他不二の行、この菩薩の精神を常に忘れず日々の中で行いて、広く衆生の為に尽くさんと誓願を深めゆくのみ。
ネコを導きの師となし、自らを菩薩の道、仏道に導きたもうた存在として敬い、自らの我見、邪心、良からぬ人間性を改めゆくことを日々おこたらざらんと誓い、何をするにも「わたくしに費やさざらん」と行うところ、いつかあなたの中で猫がゆるしてくれるような感覚を得ることができると思います。
その為にやるのではなく、ただ仏法のために。
ただ人が救われることのために。
今日できる救いの行は今日救う。
体が動くのであればできないということはない。
自分の我見が先立つから人間は、わが身可愛がりのわが身我が都合の為にエゴの行を修するのである。
人間には染みついた業というものがあります。
ここでいう業とは習慣性や過去からの原因によって自身に培われた良からぬアラワレ。
これを改めゆく為にも自身の行いのありようを改めゆくことです。
かの宮本武蔵も人殺しの罪の意識に苛まれて晩年は供養の心を行じたといいます。
自身が殺めた存在は自身が向き合えるようになるまで懺悔して懺悔の菩薩行を積み重ねていくことよりほかに私は救われは無いと思います。
人はともかく。自らが自らの得心のいくまで、菩薩の行を行なっていってみてください。

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有り難し
おきもち

拝読させて頂きました。
あなたがそうお考えならば真心を尽くして猫達が仏様の元に導かれてますようにと仏様にお願いなさりお念仏おとなえなさって下さい。合わせてあなた自身もその人生を全うなさった時には仏様に導かれて仏様の元に生まれて猫達に巡り会えますようにと心から仏様にお願いなさりお念仏おとなえなさって下さいね。

南無阿弥陀仏

必ずやあなたは仏様に導かれて猫達に巡り会うことができるでしょう、そしてあなたは猫達に心からお向き合いなさり、共に安らかにご成仏なさることでしょうからね。

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

ありがたいお言葉ありがとうございます。
また、せっかくお答え頂いたにも関わらず返事が遅くなり申し訳ありません。

私は、死ぬまで心身ともに苦しみ続けなければならないと思い、生きてきました。
しかし、弱く浅ましい心は無くならず、どこかで救いを求めてしまうのです。楽になりたがっているのです。
本来であれば、気になることがあろうと、悩み迷いの中逝けばよいだけなのですが、質問させていただいたのは、やはり救いを求めていたからなのだと思います。

ありがとうございます。
本当に救われました。
会えるよう日々努力します。
そして、猫達に謝ってきます。

「死後の世界・死んだらどうなる」問答一覧

虫の知らせ

こんにちは、お世話になっております。 今回は私が過去に経験した不思議な体験について、お坊様方から見るとどのように感じるのか知りたく、投稿させていただきます。 1年ほど前の話となります。 私の家には父方の祖父母が買ってくれた、鮮やかな森の中を夫婦が寄り添って歩いている素敵な絵が飾ってあります。 ある日の夜、その絵が気になってみたところ、何となく男性が薄く見えました。 元よりほんの少し霊感のようなものがある私は、そのことを母に伝えようか迷ったのですが、気のせい。 気にし過ぎだと思ってその日は寝てしまいました。 ところが次の日、父に大事な話があると言われ聞いてみると、昨日の夜祖父が家で倒れ救急車で運ばれたとの事でした。 病院での検査の結果、祖父はガンにかかっていました。 前日の夜、夫婦の絵に違和感を感じたのは虫の知らせのようなものだったのでしょうか。 ちなみにその後祖父は約1年の闘病の末亡くなりました。 その間に一緒に散歩したり、旅行したりと沢山思い出を作ることが出来ました。 偶然と言われてしまえば、それまでではありますがこのような虫の知らせというものは、本当にあるのでしょうか。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

死について考えすぎる

昔から死や、明確でない死後の世界に対する恐怖心、不安感に襲われ日常生活でも情緒不安定な生活を度々してきました。 最近昔よりも少し大人になったためもっと複雑に考えてしまい苦しくなっています。 また私は小さな命を3度産む選択が出来なかった時があり 自分自身軽率な行動を取ってしまったために命を産むことが出来なかった。 その命は幸せに過ごして欲しい。 今一緒にいる3人の子ども達も幸せに過ごして欲しい。 死についての恐怖を抱いたまま大人になってほしくない。 でも私は死んだ後も地獄にいって苦しむかもしれない。 でも苦しいのや痛いのは嫌だ。と考えてしまいます。 今とても幸せなんだと感じながら生活しながらそれよりも死に対する恐怖心、不安感の方が強く楽しく日常生活を送ることが難しいです。 来世も人間になりたいと欲がありながら そんなことじゃ生まれ変われないかもしれないと思ってしまったりして 心が苦しいです。 この先死について考えることは無くならないと思いますが 今生きているこの瞬間をどうやったら恐怖心よりも楽しく幸せに過ごせるか、前向きに生きていくためにどうしたらいいか教えていただきたいです。

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ