子供が産めないという現実
現在40歳で独身。彼氏もいないので結婚の予定もありません。
今年に入り体調がすぐれないことが増え、いろいろ調べていくうちに婦人科でこれから子供を授かれる可能性が低いことを知りました。
何度病院を変えて別の先生に診断を仰いでも結果は同じ。
それでも、我がことと思えずなかなか頭では現実を受け入れられません。
ショックすぎて思い出すと泣いてばかり。
泣いても泣いても受け入れられません。
二人の姉には子供がおり、私も普通に結婚して子供を産むものだと当たり前のように思っていました。
両親、とくに父は私以上にそう思っていて、早く結婚しろと縁談を勧められましたがうまくいかず、いまだに私が普通に結婚して子供を産むものだと固く信じて疑いすらしてません。
そんな父を見ているととても申し訳なくなんて親不孝な娘だと情けない気持ちでいっぱいです。
もちろん、今回の診断結果を伝えることなどできず、心の中に閉まったまま、婚活を頑張っている、と父に会うたび平静を装っています。
『孫に編み物でなにか編んであげること』が私の将来の夢でした。
夢というか、そうしてやるんだ、と当たり前に思ってました。
孫どころか子供さえ、夫さえ今となればわかりません。
どうにかこうにか孤独感や不安感を押し殺して回りとも接していますが最近人に会うのも無理して平気に振る舞ってしまうので疲れます。
かといってまったく会わないのも鬱になりそうでこわいので無理して会うようにしていますが。
これから先、何を糧にどうやって生きていけばよいかわかりません。
友人たちは結婚すれば疎遠になります。
既婚者や子供がいる人とは会話や時間が会わず疎遠になるため正直あてにはしてません。
仕事もいつなくなるかわからないような事務職で毎月の生活がやっとの給料。実家にも帰れず、転職しようにも体調が悪く気力がおきません。
このままだらだらと歳をとっていくのが怖いです。
この現状から抜け出す方法を教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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他人の子を我が子と思う
妻はあなたと同じです。
妻は私との結婚も悩み、結婚後も悲しんでいました。
ある時、ある庵主さんに言われました。
「檀家さんの子供たちを我が子だと思いなさい」
私はその場で泣いてしまいました。
お友達のお子さんの成長を我がことのように喜べるとよいのですが。
難しいでしょうか。
現状を変えずに心を変える
現実は現実で、受け入れるしかない場合もあります。
変えることができるのは、心の方ではないでしょうか。
また、心は時間と共に変わるものでしょう。
今はまだ、子供を産めないかもしれないと知ってから日が浅いので、心がショック状態なのかもしれませんが、いつか現実を受け入れられる日が来るかもしれません。
あと、体のことについては、家族や親しい人に話すほうが気が楽になるのでは?
他人に知ってもらうことで、その事情を現実化できるのではないでしょうか?
隠しておくほうが辛い気がします。
人間は必ず生老病死を経験します。
胸をはって堂々と病んでください。
浄土宗では、南無阿弥陀仏と念仏をとなえれば臨終の瞬間に必ず救われる、つまり人生のハッピーエンドが確定すると考えます。
「なむあみだぶなむあみだぶ」と念じてください。あなたがあなたのままで救われるべき存在となります。
質問者からのお礼
お礼のコメントが遅くなりすみません。
自分の質問文を改めて見返してまた涙してしまいました。。。
誰かに話せばすっきりするのかもしれませんが、なかなか話し出すと涙が止まらなくなるので、最近人前で泣くことに抵抗があって泣けません。泣きたくないので話せません。
両親には親不孝過ぎてこれ以上心配をかけれません。姉にもなんだか恥ずかしくて話せません。
独身で悩んでいる友人が周りにたくさんいるんですが、なぜかお互い自分の苦しみや悲しみについて話さないことが多いです。本当は私のように苦しくて悲しいはずなのに。達観してしまってるのかもしれませんが、あきらめているようにも見えます。
みんな平静を装って楽しい仮面をかぶって生きているのかもしれません。
だから私も明るくふるまわなくっちゃと強がっています。
いつか弱い自分をありのまま見せられる人に出会えるといいなあと思いつつ、どうにもならない想いを抱えてなんとか生きてます。ここで思いを吐き出すだけでも少し救われた気になるのでとてもありがたいです。
子供は好きなので友人や電車や道端で子供が泣いていたり遊んでいる姿をみるとほっこりします。
まだ、子供を見てほほ笑むことができているのでよかったと、人の幸せを喜べている自分にほっとします。
人をねたみたくない、うらやみたくないと日々思っていて、それでもつい他人が幸せそうなのを見て、いいないいなと羨み、嫉妬し卑下してしまう自分を戒めています。
いつも笑っていたいと思う私自身が実は自分を一番苦しめているのかもしれません。
まだ本当の心は救われていませんが、いつか心から笑って、これでいいんだ、幸せだと思える日を願って模索しつづけます。
常在さん、願誉浄史さん、あたたかいお言葉ありがとうございました。