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幸せになれない人は一生なれないのでしょうか

回答数回答 3
有り難し有り難し 70

こんにちは。私は、毎日ご飯が食べられて、雨風がしのげて、暖かい布団で寝られ感謝していますが、生まれてきて良かったと心からの幸せを感じた事がありません。うつ系で入院した事もあり、自殺未遂をした事もあります。現在は、行動に移す事はないですが、早く死にたいと言う思いは消えません。

私の友達が恋愛で悩んでいた時、協力してあげて、その後いい人が見つかり結婚しました。結婚後も仕事の事でアドバイスし、それを実践して上手くいっているそうで、私もとても喜んでいます。しかし自分の事は恋愛もケンカばかりだし、仕事は決まらずすさむばかりです。友達が幸せになるのは本当に嬉しいのですが、私と友達の違いは何なのでしょうか。友達は前世で徳を積んだので今世で幸せなのでしょうか。私が人の役にたっても自分が上手く行かないのは、前世での行いが悪かった罰が今世で当たっているのでしょうか。であれば、今世でいくら頑張っても私は何をやってもダメで、ずっと死にたいと言う思いを抱えて生きていく運命なのでしょうか。そう考えると、余計に生きていく気力がなくなります。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

足るを知るよりないのではないでしょうか。

 こんばんは。あなたの描く「幸せ」が何か、分かりませんが少なくとも世間的な幸せ(仏教で言うところの、ではないという意味で)を求めていらっしゃるのでしょう。
 彼がいて、定職にも就いている、とか?
…でも、きっと、そうなったらなったで、新たな欲が湧いてくるのではないかしら。それは、このhasunohaの他の方の問答を読んで感じませんか?「この人、こんなことを憂えているなんて、わたしよりずっと恵まれているのに…」とか。
 あるいは逆に、あなたの「問い」を読まれて、「この人、衣食足りているのに、こんなこと言って…」と思われているかも知れませんよ。
 でもそれね、きっと五十歩百歩なのですよ。「ああだったら、こうだったら、私は幸せなのに!」と言っている姿は、同じなのです。
 だから仏教的幸せ、「足るを知る」です。自分の状況が足りていることを知る。今の生活をきちんと味わうことです。
 現代はそれが難しい。世の中、お金で回っているからです。政治も経済も、人々が欲望を持ってお金を稼いで使ってくれないと動かない。自宅でご飯を作るより、添加物が多くても出来合いの弁当を買ってくれた方が経済が回る。「もっと欲しいでしょう、もっと欲しいでしょう」と、あらゆるものが消費をお誘いしているのです。
 だから、「足るを知る」の見えやすい形は、「同じものを長く使う」です。新しい物を買い換えていくのではなく、ずっと使う。メンテナンスは必要ですが、それぞれの扱いに長けてくる。
 結婚したから幸せ、定職に就いているから幸せ、ではないのです。恐らく「本当の幸せ」は、「相手と長く付き合う、尊重し続ける。仕事を大切にする。その時々の仕事を一生懸命やり続ける」ということではないでしょうか。

(追記)前世と現世について。字数制限のため一部削除しました。
浄史さんの回答を読んで、改めて考えました。
「原因がそうだからといって、現世でやることが無駄という訳ではない」のですね。そりゃそうだ。うっかりコップを倒して床を濡らした。それに対して自ら対応すればいいのであって、過去の自分を呼んできて謝らせる訳にも行かないし、勿論他人のせいでもない。「であればどうしようもない」ではなく、「だからこそ自分で対応すべし」なのですね。有り難し。

42
有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

申し訳ない

感謝。申し訳ないという思いを感謝といいます。ありがとうではありません。
有り難い。当然ではないという意味で、ありがとうという意味ではありません。

漠然と死にたいと考えている人ほど本当は一番、死に近いもの。
私自身の経験をお話します。
死にたいときは死に方を明確にイメージします。そうすると以外と死から遠ざかることができます。具体的な方法は申し上げる必要はないと思いますから申し上げませんが、いつ、どのようなタイミングで、どのように死のうと私は考えました。
怖い。死の向こうに行くためには
こんな恐怖を味合わなければいけないのか。
私は死ぬことが怖くなりました。

自死は朦朧とした意識の中で起こります。心の霧を突き破るにははっきりとした意識を取り戻す事です。

人間は器用ではありません。悩みがたくさんあるときは、他はひとまず置いて、一点集中で悩みきる。

いろいろお話したい事がありますが
ひとまずこれにて。

16
有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

前世のせいなら他人のせいではない

私は、現在の苦しみを過去の自分(前世含む)のせいにする考え方に賛成です。
なぜなら、過去の自分のせいだと考えられたら、他人のせいにして八つ当たりしなくてすむからです。
さまざまな苦しみを周囲の人のせいにして人々を恨むような生き方も苦しいと思いますしね。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

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