何事も、心から信じることができません
何事も、心から信じることができません。
大切な人も、いつか死に別れてしまうし、大切なものも、いつか壊れたり崩れたりして失ってしまうからです。
いつか無くしてしまうと思うと、何にも心を許すことができません。何故ならそれに縋ってしまうと、無くした時に立ち直れなくなるからです。
でも、自分しか信じずに生きるのはあまりにも寂しくて、最近は考えるたびに一人で泣いてしまいます。
一人になってしまうのが怖くて仕方ありません。
それを乗り越えて強く生きなければいけないのでしょうか?
どうすれば、もっとあたたかい温もりを感じて、安心して生きることができるでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
晴れでも雨でも
おっしゃることはもっともなことだと思います。
仏教でも「諸行無常」と表されるように、変わらないものは何もありません。
つまり、「常一主宰」と言いますが「常に・単一(一定)で・主として宰(つかさ)さどる(コントロールする)」ことができるものは何もないということです。「思い通りにならない」ということですね。
出典はわかりませんがかの夏目漱石も
「自分以外のものを頼るほどはかないものはない。しかし、その自分ほどあてにならないものはない。」
との言葉を残したそうです。えむさんも今、こうした一つの真理に向き合っているのです。多くの人はここでごまかして問題をやり過ごしていきます。それも一つの手ではあります。
えむさんはどうでしょうか?本当に信じられるもの、頼りにできるものって何でしょうね?
さて、えむさんがこのように感じるようになったのは何がきっかけでしょうか?以前にご相談いただいた元カレさんとのエピソードの影響が大きいのでしょうか。
私たちは誰かを信じる時、本当にその相手を信じているでしょうか。相手を信じると言いながら自分を信じてはいないでしょうか。
すなわち、相手は「こうあるべき、こういう人だろう、こうはしないはず、こうしてほしい」そういう期待・思いを相手にかけてそれを信じる。これは実際の相手ではなく、相手にかけた自分の思い、言うならば自分の頭の中の相手を信じているのです。
でもその頭の中の相手は実際の目の前の相手と違います。実際の相手は当たり前にあなたの思いと違う行動をします。すると「裏切られた!信じていたのに!」となってしまいます。
だから本当に相手を信じるというのは相手に「まかせる」ということです。たとえ私の思い・期待と違う結果になろうとも私はあなたにまかせます、というのが相手を信じる事です。
えむさんは天気予報で明日は晴れが80%、雨が20%の場合はどちらを信じますか?晴れですよね。それでも雨だった場合はどうでしょう?まあこういうこともあるか、と思えるでしょうか。
では晴れが100%と予報なのに雨だったらどうでしょう?
この場合に「天気が間違っている!」となるのはおかしいでしょう?たとえおかしくても実際の天気が事実です。間違っていたのは予報です。
事実は思いとは違うのです。
晴れでも雨でもいいでしょう?晴れには晴れのお恵み。雨には雨のお恵みが。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
仰る通り、自分の中の相手を信じていました。
相手に「任せる」という考え方を、是非実践してみたいと思います。
自分に任せられた事など、管理できない、見えないとなると極度に不安になるのは相手を決めつけていたからかも知れません。
明日から、気持ちを切り替えてみたいと思います。
本当にありがとうございます。