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母の死で夜が辛い回答受付中

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前回や前々回の相談からの心情の変化は、梅雨時期なので夜の辛さが辛いです。コロナの流行る前年の年末に風邪を引いたとかで正月を挟むので多めに薬出して貰って年明け1月か2月に定期的な血液検査と言われてた様でコロナが流り近所の開業医の内科に行きたがらなく成りました。昨年の2月の初め夜に風邪が悪化して様で翌朝救急車を呼んで救急病院に。検査の結果風邪をこじらせ肺炎で入院。夏の入院時も夜に悪化翌朝救急車で同じ救急病院に入院。体力も落ち寝返りも難しく成り急ぎで介護認定と訪問看護て自宅治療で退院予定と車椅子椅子でわ過ごせる様に退院楽しみにして母。退院後一月程で亡くなりました。無理やりでも内科に連れていき早めに対処してたらと。あの時こうしてたらと思い出してらと辛いです。

2025年6月16日 19:25

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そして、お母様との大切な時間を、言葉にして届けてくださったこと、心から敬意を込めて受け取らせていただきます。

梅雨のこの時期、ただでさえ心が沈みやすくなります。そんな夜にふと湧き上がる、

「あの時、もっと早く病院に連れていけていれば」
「無理やりでも受診させていれば…」

という、取り返しのつかない後悔の声。

それは、大切な人を本当に大切に思っていたからこその感情です。でも、そのやさしさが、今はあなたを苦しめているようですね。

ご本人が「病院へ行きたがらない」という中で、あの時は誰もがコロナへの不安に揺れていました。「病院で感染したらどうしよう」「本人の意思も大事にしたい」
その状況下で、何が正解かなんて、誰にもわかりませんでした。

でも、あなたは常にお母様のそばで、一緒に考え、動き、支えてこられた。

後になって「できたはず」と見えることは、その時点では見えなかった当然のこと。だから、あなたを責める資格は、誰にもないのです。ましてや、ご自身が自分を責める必要もありません。

お母様は、退院後の生活を楽しみにされていた。車椅子での生活でも、日常を取り戻そうとされていた。

その姿は、「まだ一緒に生きたい」という、まぎれもない願いでした。だからこそ、
あなたがいま、自責の念にとらわれて生きることはお母様が願っておられることでは、きっとありません。

あなたが「幸せに、この世界で生きていてくれること」こそが、いまのお母様が、何より望んでおられることなのではないでしょうか。

たとえ涙が止まらない日があっても、ふと笑える時間があれば、「ちゃんと笑えてるね、ありがとう」ときっと見守ってくださっているはずです。

亡くなったあとに「こうすればよかった」と思うのは、それだけその人を大切にしていた証拠です。仏教では、人は誰しも「完全ではない」と見つめる教えがあります。完璧でないからこそ悩み、迷い、それでも大切な人と生きようとする日々が、尊いのです。

最後に自分を責める夜がきたら、こう語りかけてください

「あのとき、私なりに、できることをしていたよね」
「後悔してしまうくらい、大切に思っていたんだよね」
「お母さん、私は今も生きてるよ。ありがとう。」

あなたの人生は、まだこれから続いていきます。どうか少しずつ、「自分を生きる時間」を取り戻していってください。

2025年6月17日 8:49
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有り難し
おきもち

広島の山あいで、今日も「なんまんだぶつ」とつぶやいています。 浄土真宗本願寺派の僧侶、ケンコウと申します。 日々の中には、言葉にならない思いや、誰にも言えないもやもやがあるものです。 そんな時こそ、仏さまの教えが、ふっと心に灯りをともしてくれることがあります。 この「はすのは」では、あなたの声に耳を傾けながら、一緒に“いま”を見つめ直す時間をつくっていきたいと思っています。 堅苦しくなく、あたたかく、時にゆるく。 どうぞ、あなたのお話、聞かせてくださいね。

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