親友の趣向を受け入れきれずに拒絶し、失った
親友の趣向を受け入れきれずに拒絶し、失いました。
数年付き合いがあり、不思議と気が合って、ツーカーの仲であった親友がいます。
その友人は、我が強く、人の好き嫌いが分かれ、誤解されやすい私の性格をプラスに捉えてくれる人でした。
ある日、その人が秘密にしていた趣向を打ち明けてくれました。しかし、それはやはり普通とはかけ離れているものでした。
この数年間、そんな素振りは一切見せなかったので、私は内容の衝撃にショックを受け、「もう顔もみたくない」などと手酷い言葉を投げつけ、拒んで、連絡先もすべて消し、数か月音信不通でいることを選びました。
信頼を裏切られた、だけで頭が埋まり、視界が狭まっていました。
その間に頭が冷え、大分整理されたところで、私が悪かったことを悟りました。
私を信頼しているからこそ話してくれたのに、あんな拒絶をしてしまい、直接謝りたいと思い、共通の知人を介して連絡を取ったところ、話をする気にはなれないという回答を得ました。
自ら招いた不義理であり、自分勝手が原因で生涯の友を失ってしまったという胸の痛みに苛まれています。
私が被害者で相手が加害者だと一時期思っていました。しかし、私が加害者だったと理解したときのショックが私を刺しています。
この経験から学んだことを糧に、同じ失敗をしないよう、努めていく覚悟です。
私はこれ以上自他双方の傷口を広げないよう、この人と縁を切ることを考えています。
しかしそれは自分の逃げではないか、という気もしています。
しっかり話し合いをするべきなのか。ほかに何か道があるのか。
今もこの問題で視野が狭まっているやもしれません。短慮な判断をする前に、どうか助言を頂けないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
拝読させて頂きました。
人の趣向はそれぞれです。あなたが無理にそのことを受け入れる必要はありません。
その方はその方の生き方があるでしょうからその思う通りに生きていけば良いと思いますし、あなたにはあなたの生き方があるのですからやむを得ないことかと思います。
感情的に振り回されることなく冷静に考えてみてくださいね。
それぞれにとって生き方は選択していけば良いのですからね。
またそのような出会いや別れがあるのも人生ですからね。
いずれ時間が経てばまた見つめ直す機会が必ず訪れますからね。
質問者からのお礼
Kousyo Kuuyo Azuma様
貴重なご回答をありがとうございました。
無理して受け入れることはない、のお言葉に非常に救われました。
無理に受け入れようとはせず、そうなんだね、と受け止める形に徐々に変えていく努力をしようと思います。
今いる友人たちを大切にするために、いま自分が何をするべきか見定めて行きたいと思います。