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運命だからは逃げですか

回答数回答 2
有り難し有り難し 17

こういう結果になったのは、運命だからだ。

そう思うのは、逃げなのでしょうか。
見えないものに
責任?を押し付けていることになるのでしょうか。

自分は努力してきたと思えても、よくない結果がかえってきたとき。

例えば、受験の合否だとか、就職の採用とか、人との関係、家庭内のいざこざとか。そういうのも縁がなかったとか、その道は自分の進むべき道じゃなかったからとか。

そういうのって、逃げになりますか。

運命とか、縁とか、見えないものに責任転嫁しているようになりますか。
そう考えるのは怒られ、バカにされますか。

もっと努力すればよかっただろって言われても、自分は努力したと思ってても、言い返す資格はないのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「運命」と「ご縁」

以前のご質問と併せて拝読しました。夢が叶わなかったのですね。

自分の中では努力をした思いがあるのだけれど、それを周りの方には認めてもらえなかったのでしょうか。辛いですよね。結果が出なかったことが一番つらいから、せめてその努力という過程を認めて結果を含めて受け入れようとしているのに、周りからそれを否定されてしまうことは本当に辛い事だとお察しします。

さて、言葉の問題になってしまいますが個人的には

「運命」というのは、「これまで」も「これから」も全部決まってしまっているという意味。

そして仏教でいう「ご縁」というのは、「これまで」は自分の努力も含め様々な原因と条件が積み重なって生まれた結果であり変えられない、しかし「これから」はその様々な原因と条件によって変化し得るものであるという意味。

と、このように捉えています。

運命というものに全ての結果の責任を押し付けてしまうことは「逃げ」であるともいえるかもしれませんが、ある種の「救い」とも言えるかもしれません。それは「自己責任」からの解放です。
しかしここで注意したいのは、では自分の人生に全く責任がないのならいったい生きていて何の意味があるの?という「虚しさ」が生じてしまいはしないか?人生から「主体性」が奪われてしまいはしないか?という問題です。

「ご縁」というのはそういう意味では自らの責任も含めて、丸ごと全ての原因と条件が積み重なった結果を認めるという内容であり、そこには「自己責任」からの解放と「主体性」の確保の両方が同時に存在できるものであると私は感じます。

あなたが今目の前の状況において何らかの行為をしようと思った時、実際に「する」か「しない」かの選択によってその先は変わるでしょう?
もちろん「する」と決めたとしても実際にできるかどうかは「ご縁」によります。そして自分で「する」と決めたつもりでも、自分にその選択をさせたのはこれまでの様々な原因と条件の結果かもしれません。それでも「今」自分がどう選択するかによって生じる影響は後の自分の選択に影響を及ぼします。これを仏教では「業(ごう)」と言います。

「業」には「身業:何を為すか」「口業:何を話すか」「意業:何を思うか」の3つがあり、それによって自らが影響を受けていくと考えます。

あなたが「今」を受け入れ、「これから」に活かしていけることを念じます。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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拝読させて頂きました。
その場の結果には確かに一喜一憂するでしょう。一生懸命に努力して勉強してもいい結果にならないこともあるでしょうからね。
とはいえその努力は無駄にはなりません。
努力して頑張った方の中にはその実りが必ずあるのです。それは目には見えなくても沢山の果報がその人にはもたらされているのです。
ただ目先の結果ばかりにとらわれてしまって自分の中で変わったことや成長したことや実りに気がつかないだけなのです。
勝負は時の運ですから、どうぞ何度もトライなさって下さい、様々な可能性に挑戦なさって下さいね。

必ずやその実りはあなたの前に形になるでしょうからね。
でもそれだけじゃないんです、自分が頑張って自分を信じて自分を褒めてあげて下さいね。そしてまた新たな未来に向かっていって下さいね!

あなたを心から応援してますね!

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

もう少し、勝負してみようかと思います。
まだまだ終わってないと結果が来ました。
望みはかなり薄いですが、待ってみようと思います。

「運・運命」問答一覧

家族の怪我が続く

以前主人について、離婚すべきかご相談させて頂いたものになります。 その際は心温まるお言葉を誠にありがとうございます。 その後数ヶ月我慢して日々を過ごしていたところ、土曜日出勤で私が仕事中子供を保育園に預けている間、主人が仲間たちと遊んでいたところ、階段を踏みはずし、脛と膝を粉砕骨折、救急車で運ばれ2ヶ月入院の大怪我を致しました。 ちなみに骨折入院中に主人は私と同じ会社を退職しました。2ヶ月ほど前に、私には相談も無く、独立するということで会社に退職届を出していました。 それもこれもやはり神様の思し召しか、独立は時期早々かと思いましたが、私は何も言わずに、毎週3歳の子供を連れて片道2時間かけて面会に行きました。 その退院後、主人も心を入れ替えたのか、家事や育児にも協力的になり、出かけても家に毎日帰ってくるようになりました。昨年の7月頭骨折、9月頭退院の出来事です。 そんな年が明けた矢先、おととい、 姉の旦那が小学生の子供2人と家族4人でスケートをしていたところ、くるぶしを骨折、本日から急遽入院、手術することになりました。姉の家族は私から見ても羨ましいくらい夫婦仲も家族仲もよく、何も悪いことは見当たらなく、夫婦2人3脚でやってきたので、1ヶ月程度の入院ということで姉が大変ショックを受けています。 また、正月に実家に帰った際、姉の家族を見送った翌日に私が帰ろうと駐車場から出た際に、私の父が階段から転倒したらしく、骨折まではいかなかったのですが足を怪我しています。 私の身の回りで、しかも父に当たる人が立て続けに足を怪我をしているのですが、何か良くない運気があるのでしょうか? ちなみに以前のご相談で記載させて頂きました私の母は、3年前の私の出産時末期の白血病だったのですが、私の祈りが通じたのか奇跡が起こり、今年はお正月料理を今までで一番盛大に準備し、私の子供と遊べるくらいまでに回復しました。 私と姉は元気ですが、立て続けに試練が来るのでかなり不安になっています。 偶然でしょうか? 何か断ち切る方法があれば教えてください。

有り難し有り難し 3
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「運」って何ですか?

初めまして。疑問に思っていることがあります。 「運」という言葉は現代人は皆当たり前のように使う言葉です。「ギャンブルで勝ったから運がいい。」「ソシャゲのガチャで狙いが全然当たらず運が悪い」といった感じに。 このように「過去に起こった出来事」に対して運がよかった、悪かったということに対しては特に疑問はありません。 しかし、「今の俺は運がいいから次も勝てる」「私は運が悪いから何をやってもうまくいかない」といったように、あたかも「運」を自分の才能や能力のように語ることに疑問を感じます。 どんなに過去の結果がよかったとしても、これから振るサイコロの目が出る確率は変わることはないはずです。しかし人は「運」で確率が変わるかのように信じ、験担ぎをしたり神社にお参りに行ったりします。 私の中で「運」という物は以下のどれかかなと思います。 1:「運」は人が持つ才能や能力の一つであり、良い行いをすることで鍛えることができるもの。 2:「運」は天上の存在が与えるチャンスであり、良い行いをすると巡り合いやすくなる。 3:「運」なんて存在しない。全ては過去の結果であり、行いで変化するものでもない。 私は「運」を信用していない人なので3だと思っています。 お坊さんの方々は「運」というものを何だと考えるか知りたいです。

有り難し有り難し 5
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運命とは

私は周りから見たら、外見才能知能、そんなに恵まれてたら何もかもがイージーだろと言われるように産まれました。 しかしそんな人間は周りから見るといるだけで「ずるい」許せない存在であり、あらゆる人(家族友人教師)から酷い迫害に遭い幼少期からストレスで病気だらけ、頼る人もいず、彼氏も友達(養育環境による鬱で)も自殺し義務教育すら終えられず11年も引きこもりまともな就労経験もなく15年もうつで餓死寸前で入院、差別され続け何で生きているのか分りません。 大人になっても外見のせいで異性にとんでもない目に遭わされ同性には嫉妬、やっと結婚し昨年息子を産み激しいトラウマの末、家族と夫にまで虐待されていた事を40年経って気付き絶縁し自分は悪くなかったと知り一瞬で鬱が治りました。 姉二人は普通の人生です。親戚に誰も似ていない才能があり美しい私「だけ」家族中から虐待され、三歳で殴られ死ねと言われ去年生きている間にと改名しました。 唯一優しかったのは祖母であり、その長女が「この子は産まれてきて良かったという顔をしている」と言い、彼女には何か不思議な力があったらしく私に純白のドレスを小学校入学式に贈ってくれたりもしました。 その通り私は不思議なものを見たり聞いたり奇跡的に助けられたりを何度もしました。物理的にあり得ないことが起き周りの人の方がそれを見、知っていました。 妄想などと診断された事もなく、大抵のスピリチュアルには懐疑的で幽霊や恐ろしいものを見たことは一度も無いのです。一番強烈な体験を信頼できるお坊さんに話したら「私はそんな体験はないけれど真実だと思います」と逆に驚かれました。 親は身近で知りうる限り最も愚かで尊敬できる所のない人間でした。私はたった一人ボコボコにされながら家族を助けてきました。もう十分だろうと思います。彼らが罪を悔い改める時間が残されているといいですが。 神仏がおられるのなら(私は確信しましたが何の神かは分かりません)真に救われるべきは自らの弱さに対峙せず、それを抗えぬ幼い我が子にぶつけた彼らの方だと思います。 夫は酷いモラハラを大変反省してくれ何もかもこれからだと思いましたが、夫はおそらく軽い自閉症であり息子は遺伝したのかもっと重く知的障害も併せ持っているようです。 私の人生よりも、生きる力をくれた息子を不幸にした事が許せません。 運命とは一体何なのでしょう?

有り難し有り難し 6
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ