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演奏家を目指しています。壁の乗り越え方に困っています。

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こんにちは。音楽大学に通いながら演奏家を目指している者です。

最近、将来のことや目の前の現状のことでとても悩んでいます。
ほんの少し前まで1日10時間未満くらいの時間、練習に没頭できるくらい、やる気に満ち溢れていたのですが、最近「本当に目の前の壁は乗り越えられるのだろうか」と自分のことを信じられなくなって、頑張ることができません。無気力といった感じでしょうか。

昔から人の倍練習時間をとっていますが、集中力がなく、これも自分を内心信じていないからなのかな...と思ったりもします。
多分これから先、同じように自信がないまま努力していても中途半端な努力のまま、中途半端な人間にしかなれない気がします。でも、音楽を辞めようと思っても「誰かを感動させたい!」という思いが捨てきれず、結局辞めることができません。

疲れているのかと思い、家でゆっくり過ごす時間も作ったつもりですが、立ち直る気配がありません。
実は今通っている学校とは別の学校の入試を3ヶ月後に控えているというのも大きな要因かもしれませんが...

本当は自信を持って、どんな壁にも立ち向かいたいです。どうしたら強い心を持った人間になれますか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

壁をたてないこと

よーく心をしずめて演奏前のような気持ちで読んでください。
「壁」を作っているのは、自分がそれをたてているからです。
元々無いものを認めて作り出したのです。
演奏している時の手を観てください。人間の考えやビジョン、思考とは別物の動きをして奏でています。
すぐれた演奏は、そういう人間の介入がないから優れているのです。
わたくしがない風景。
わたくしがいない音。
わたくしがいない運指。
わたくしがいないから聞こえ、響いている。
わたくしが運ばれていないから、修練したように手が動き、そこに感性が加わる。
わたくしがいなくなるから誰にでも共通する感動せざるを得ない響きが❝感じられ❞そこの音を奏でようとする。
すると、そこに元々壁など無かったことに気づくでしょう。
無私で無我なる「わたし」が気持ちいい音に自信を持てるようになれるのです。
その状態で弾けば、気持ちよくないわけがない。(笑)
あなたのテーマはもともとなかった壁を立てない。
わたくしを介入させない五感を感性のままに弾いてみてください。
無私の身心が歓ぶ音が分かるはずです。そういう音を弾けるようになって下さい。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

全てが、糧になります

私も、ジャンルは、違いますが、落語を通して 舞台に立ったり、表現をします。

稽古しても、不安です。

高座に上がる前には、壊れてしまいそうになります。

壁しか無いですよね。

越えられないかもしれない、でも、立ち向かう事、壁を壊した事、登れなかった事、全て、表現のかてになると確信しています。

全ての経験が、あなたですから。

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ラジオ パーソナリティ 『 命の 相談会 』開催 愛知県愛西市 の 大法寺 の住職をしております。 大法寺は、代々尼僧寺院であり、苦しんでいる女性を救い 「 おわりはじまりのてら 」 「 尾張の駆け込み寺 」と、呼ばれておりました。 白龍が住んでいると言われている、樹齢650年の大楠の元に、倶利伽羅不動明王の祠が有ります。 その宝剣で、悪い縁を切って下さると言われ、『 悪縁切り供養 』をしています。 病気、人間関係、依存症、自分の中の悪い想いを 切って下さいます。 縁切りの絵馬に、切りたい縁を書き込み、縁切りのお護りを授与しております。 是非、お参りください。 『 命の相談会 』 を、開催しております。 胸の中にあるもの、だれにも言えない事を、全て吐き出しましょう。 一緒に泣きましょう、一緒に叫びましょう、一緒に笑いましょう。 自坊、ショッピングモール、赤十字血液センター、カフェ、放送局、等で 定期的に行なっております。 日程は、ホームページで、確認してください。 ホームページ www.daihouji.org 『 樹木葬 大法寺 』 『 縁切り 大法寺 』 で検索してください。 緊急の場合 苦しかったら、辛かったら、電話ください、 09066179353

人脈作りも自信に繋がる

演奏家として食べていくには相当の気迫も必要のようですね。人間関係にも貪欲に。

僕の書道の生徒さんにハープ奏者がおりますが、人との繋がりを大切にしています。
自信は広い人脈からも得るとよいでしょう。

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おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

丹下 覚元様
ご回答ありがとうございます。実は先ほど、入試にも少し関わる大きな本番を終えたのですが、丹下 覚元様のお言葉を大切にステージを迎えました。緊張はしましたが、いつもに比べコンプレックスのようなものを感じずに演奏することができました。

まだ、若い分充分な実感を持つことはできませんが、そのお言葉を実感をもって分かるようになるまで、一生ずっと演奏し続けたいと思います。
ありがとうございます。

四次元 法華塔 様
ご回答ありがとうございます。
やはりどんな世界にも人のつながりというのは、本当に大切なものなのですね。
まずは、身の回りの人たちを大切に、自分も周りの人を勇気付けられるような人間になりたいと思います。
ありがとうございます。

長谷雄蓮華 様
ご回答ありがとうございます。長谷雄蓮華様にもそのようなご経験があるのですね...でも、そのような経験をしてきたお方から、このようなお言葉いただけて、本当に元気がでました。
もどかしい1日、投げ出したくなる1日、喜びに満ちた1日、全部を自分のものにするために、これからも1日1日積み重ねたいと思います。
ありがとうございます。

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