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無縁仏について

回答数回答 2
有り難し有り難し 28

特に信心深いという訳でもない私ですが、墓参りなどの時に無縁仏さんに手を合わせたり、水を入れ替えたり?しています。

ただ、何となくやついで、くらいの気持ちでやっています。
物心ついたころからやっていますが、母とかからは微妙な顔をされます。

やはりこのように軽い気持ちで手を合わせたりするのはやめた方がいいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

やっていいでしょうどうぞ、お参りください

無縁仏に手をあわせる。縁もゆかりもない人のことを考え、当たり前に接することができるこれは素晴らしい事ではないですか。

知らない人が困っていても、手を差し伸べられる。そんな慈悲の心があなたの中にあるのでしょう。

当たり前にできる。誰もがそうであったら、世の中うまくいきそうですね。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

やがて無縁仏があなたを供養する

無縁仏を供養していただき有り難うございます。

あなたの行いは無縁仏にお食事のお世話をしているということになります。それを「供養」と言います。

供養を続けることで、あなたに感謝した無縁仏が、今度はあなたを供養します。
結果あなたは食べることに困らなくなります。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

ありがとうございます!
正直軽い気持ちでやるのは逆に失礼かと思い悩んでいましたが、お陰様で納得しました!
ありがとうございます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ