お坊さん達の言う報いについて
以前ここの相談で両親がやってきたことに話したときに坊さんの回答で「そういうことをやってきた人は必ず報いを受ける」といった感じのがありました。
それは具体的にはどのようなことなのでしょうか。
例えば犯罪に手を染めたりしてつかまるとか、とんでもない借金をつくるとかいったことなのでしょうか。
僕は両親にとんでもなく不幸になってから、地獄のような目にあってから死んで欲しいと考えてしまいます。
人間とは思えないかもしれませんが、そう考えています。じゃなきゃ不公平だ!とさえ思います
それにさっきみたいな不幸も結局、周りの人を不幸にしながらの不幸なので、それはちょっと…みたいな気持ちになります。
両親のうける報いというのについて、どのようなものなのか教えてほしいです
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
因果
拝読させて頂きました。
なるほど、そうですね。
悪しき心や行いをなした者はまずは本当の心の平安は訪れないです。
己のしたことに真摯に向き合うことができなければ疑いや恐れや不安そして恨み憎しみから決して離れられません。ですから決して本当の幸せを味わうこともできません。ましてや成仏することはかなわないでしょう。
そしてそのような行いを神仏や誰かが見ています。ましてその被害を受けた方や世の中の誰かから怒りや憎しみを買ったり厳しい目で見られるでしょう。そのうえで社会的な制裁が加わることになるでしょう。
同様にそのような方はその行いにより、もしもその方が困って助けてほしくとも助ける方は非常に少ないと思います。まして日常生活においてもお困りになることは出てくるのではないでしょうか。
おそらくはそれ以上の無数の連鎖があるでしょう。それは私たちの想像をはるかに超えた様々な因果によってつながって起こる事かと思います。
因果応報の道理は私たちの考える以上に広く大きくつながっています。そして私達を取り巻いていますからね。
あなたのご両親が、あなたにイヤな事をしたことが原因で、あなたに嫌われる(あなたが両親を嫌いになった)という結果になりました。
この結果は、ご両親にとってすでに不幸な事だと思います(今は本人はそう感じていなくてもね)。また今後、ご両親に何か困った事が起こっても、実の子であるあなたの助けがないのは、なによりもつらい事だと思います。報いとは、新たに何かが発生する事ではなく、結果として出てきた事だと考えます。
百人一首の右近の句に「忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな」とありますが、残念ながら罰が当たって死ぬ人はいません。