人間に守るべき正義はあるのか
仮面ライダーやプリキュアと言ったヒーロー番組をたまに見ているのですが、なんで彼らは人間を守るのでしょうか?
人々の平和を脅かす怪人よりも、僕は人間の方が怖いと思います
何故なら、中には平気で人をいじめや犯罪で傷つけたり、子供を産んだ挙句に虐待したり、産むんじゃなかったと罵声を浴びせる親もいます
地球の環境を汚し、動物の住処を奪い、戦争で多くの人を殺して悲しませる
そんな人間をどうして命をかけて守ろうとするのでしょうか?
ヒーローはそんな最低な人間がいることを見て見ぬ振りをしているようにしか見えません
世の中や世界を平和にするなら、まずはそんな最低な人間を倒してからにするべきだと思います
最低な人間を滅ぼせば、平和を脅かす怪人なんかいなくなるはずです
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたのヒーロー
ヒーロー番組でヒーローが人間を守るのは人間が作った物語だからです。彼らは人間にとってのヒーローであって怪人にとってのヒーローではありません。
正義というものが誰か特定の人にとってだけの正義であるならば、それはその正義に合わない人を悪にしてしまうという不完全な正義です。
では、誰にとっても正しい完全な正義を求めればいいのですが人間はそこには達することが出来ません。
だって自分が一番かわいいから。
さて、仏教も一人の人間であるお釈迦様が目覚めた教えです。しかしそれはお釈迦様が作ったお釈迦様のための正義ではなく、お釈迦様以前から誰にでも当てはまる普遍の道理として存在していた法則にお釈迦様が目覚めたものです。
その目覚めは説かれる対象によって様々な物語ともなり伝承されてきました。その物語によってあきらかになるのは正義ではなく正義を踏みにじる「私」の姿です。
そうです。お釈迦様こそあなたのためのヒーローなのです。そしてそれは誰一人漏らさず生きとし生けるもののヒーローなのです。
平和を脅かす怪人は「あなた」の中にも「私」の中にもいることをお釈迦様は説いています。
あなた一人が平和にならなければ世界の平和は達成されません。それはお釈迦様の本意ではないでしょう。
ヒーロー番組に飽きたら是非仏伝物語、そして仏法の世界へようこそ。
最低な人間は私の周りにいたのではなく、私こそ最低な人間であった、そしてその私が救いの目当てであったというのがもったいなき仏様の「大悲(だいひ)」であります。
「大悲」とは本当に悲しむべきことを悲しめないという悲しみを抱えた私たちを哀れみ悲しむ仏様のお慈悲であります。
大悲にふれるからこそ悲しみに目覚め、正義足り得ない私たち一人ひとりがこの現実をどう歩むのか「問う力」をいただくのです。
仏法にいただけるのは「答え」はありません。「答え」は「答えではないもの」を作ってしまいます。「問う」歩みこそが「平和を脅かす怪人」を内包する私に一切と「共に」歩む道を願わせるのではないでしょうか。
質問者からのお礼
なるほど・・・自分こそが愚かな人間だった、確かに、僕も完全に正しい人間ではなかったです、ヒーロー番組を見飽きたので、その話をまた見て考え方を変えていきたいです、ありがとうございました