妥協はどこからですか。
こんにちは。
私は憧れている人がいます。
その人みたいに
なりたいなと思って
努力したりしますが、
おもうようにうまくいきません。
他の人の質問でうまくいかなくて
悩んでいる人に対して、
理想が高すぎ
キラキラしすぎ、
と助言されてますが、
やっぱり、理想や夢なんて
諦めたほうがいいんでしょうか。
どこらへんで妥協したらいいのかわからないです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
三つの宝 仏法僧
仏はよき師
法はよき薬
僧はよき仲間
悟りを求める上において3つの宝がこれです。
悟りを求める上においては読経はしても妥協はしません。
妥協すれば迷う。人生にハッキリとした解決が得られません。
妥協せずに正法を求めれば必ず正師に出会って悟りを得られる。
ハッキリしているのです。だから仏道、仏教は確かなものなのです。
自分が安楽になるためには「高い理想」ではなく、自分が自分の人生で迷い苦しみがなくなること「悟り」を得るこという目指すべきところがハッキリしています。
あなたも何かを求めるのであれば、
どのようになりたいのかをハッキリさせることです。
漠然とした目標でははっきりせず、ぼんやりしたままになるのです。
たとえば写真家であれば、誰の様な写真を撮れるようになりたいのか。
その為には、その写真家に師事する。
同じ機材を使用する。技術を学ぶ。
よき師となる方のもとで、
よき智恵となる教え・アイデア・技術を学び、
よき仲間となる同志を求めてみてください。(利害関係のある人間はダメ)
人に対しては「よき仲間としての理想」を要求する程度でよいでしょう。
仏道は人に求めるべきことというより、自らが成し遂げるべきことです。
だから、あなたも他者に対して云々より、まずあなたが、あなたの理想を成し遂げることです。
その為にも、よき師匠、よきパートナー・仲間を探してみてください。
意識が変わります。
志が変わります。
仲間がいなければ一人でもいいのです。
必ず理解者に出会えます。
目指すべき良き師に、よく尋ねることです。
どのようにしてそうなったのか。
どうして、そうなりたいと思ったのか。
理想はあなたの中であまり高みに持ち上げずに、自分の手の届くところにひきよせることです。
悩みを解決するのは当の本人の問題です。アドバイスしても聞き入れられない事など当たり前にあることです。
良医は病を知りて薬を処方する。その薬を飲むか飲まないかは本人次第。
夢や希望を明らめた方がいいというのもすでに妥協が始まっていることの一種です。
自分の身に合ったところで
あこがれている人とあなたは別な人間ですね。
どんなに素晴らしい人であっても、そのまま自分にとって素晴らしいかどうかはわかりません。
理想や夢は大切ですが、それを過度に叶えようとしてしまうのは、執着になるのでしょう。
こだわりすぎず、自分の身に合った状態を見極めてみましょう。
食い下がる
質問者からのお礼
為になりました。
とても、わかりやすかったです。
ありがとうございます
あの人に憧れる。
なぜ?
なぜ?
なぜ?
なぜ?
を、解いていくことが大事なんですね