観音様の開眼について
最近可愛らしい如意輪観音様の陶器の置物と出会いました。あまりに可愛らしいので、置物ですが、お水、お花、御灯明をお供えして手をあわせております。
長くお付き合いしたいと思い、開眼供養を思いたったのですが、一般的に、こういった人形のような御像でも開眼供養というものはしていただけるものでしょうか?
また、近くに如意輪観音様をお祀りしているお寺様がない場合、観音様をお祀りしているお寺様にお願いすることは可能でしょうか。
よろしくお願いいたします。
(ちなみに実家のお墓のあるお寺様は浄土真宗なので、こういったご相談ができません)
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
是非ご相談ください
浄土真宗の僧侶です。私がそのお寺の住職なら是非相談してほしいなあと思います。
浄土真宗のご本尊はご存知でしょうが阿弥陀如来です。観音様はその阿弥陀様の「慈悲」をあらわす化身とされています。
親鸞聖人も観音様がご本尊である六角堂に参籠し、観音様の夢を見たりと何かと浄土真宗にもご縁の深い菩薩様です。
しかしこれまたご存知のように浄土真宗では開眼供養は致しません。するのは入仏法要や、御移徙(ごいし・おわたまし)と呼ばれる法要です。
これからこの仏像をご本尊として私の生活の中心に据えて仰いでいくための機縁とする法要です。
もちろんその法要の儀式により仏像にご本尊としてのパワーや魂や霊験が宿るわけではありません。
それを期待するのは偶像崇拝でありますので、基本的には各宗派とも開眼供養と言えど、そうしたものを期待するものではないということは共通しているのではないでしょうか…。
儀式において大事なのは儀式をお勤めする私やあなたの身の在り方、心の在り方が問われていくことです。
ご本尊というのは私のお願いを聞いてくれる対象ではありません。それでは仏像ではなく「私のお願い」が一番大事であり、ご本尊(本として尊ぶ対象)は「私のお願い」=「欲望」になってしまいます。
仏像ご本尊にお迎えするという事は私がその「仏様の願い」を聞いて生きていくという事です。
ですから浄土真宗においてはご本尊は阿弥陀様一仏です。しかし、あなたが観音菩薩様に興味や親近感を持っていただけたのは大変有難いことです。ですからもしも私が相談を受けたのなら何かしらの方法で法要を勤めたいと考えます。
観音様には観音様の願いがあります。「観音経・意訳」でググると色々出てくると思います。是非知ってみてください。
あなたがその願いに生きたいと気持ちをあらためるために開眼供養等の儀式が必要ならばその浄土真宗のお寺やお近くの如意輪観音様をお祀りしているお寺にご相談ください。
大事なのは像ではなく像という形になった教えであり、その教えによって問われる私たちの身と心です。
仏像ではなくこの私の眼が開くことこそ開眼供養に願われていることでありましょう。
質問者からのお礼
吉武様
お忙しいなか、大変ご丁寧にご回答くださりありがとうございます。
浄土真宗のお寺様は正直難しいので、いずれ如意輪観音様をお祀りしているお寺様にご縁がありましたらご相談したいと思います。
今後もこれまでどおり神様仏様のご縁を大事にして日々過ごして参りたいと思います。