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元彼に対して罪悪感が拭いきれない

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有り難し有り難し 3

私は大学生で、半年前に同じサークル(ボードゲーム等をやる活動をしています)に参加していた彼氏と付き合い始めましたが、私から言い出す形で1か月ほど前に破局しました。

その理由はお互いの恋愛観の相違(彼氏は私に愛情を求めましたが、それが私にとっては負担になった)以外に、サークル関連の言動に怒りや嫌悪感を覚えたからです。

まず、彼はサークル活動を「私に会う為の場所」と捉えているような節の言動をとっていました。(他の人とも遊んではいますが)私がいるからサークルにいるのであり、もし私がいなければサークルもそれで行うゲームもどうでもいいと言っていました。私はサークル活動はその活動が好きな人が参加するべきであり、(確かにデート回数などを満足に重ねられなかった点を除いても)私と遊ぶことだけを主目的にするのは他の参加者の方に失礼です。それに、私はそのゲームを、そのサークルの人たちと遊ぶのを好いていて、それに対する侮辱のようにも思えたのです。

また、彼はおそらくサークル活動への軽視から、サークルの役員会での話し合いを平部員である私に漏洩したり情報を悪用しようとしました(彼は役員に任命されていたのです)。その情報の中には、部員のプライバシーに関わるものや、悪戯に漏洩すべきでない情報が含まれていました。それを彼は「私が心配だから」漏洩したと言っていましたが、私はその行為は託された役割に誠実でないと考え怒りと嫌悪感を覚えたのです。

元彼はサークルの重役についていた事、また下手に動けばサークル内でもめ事が起きると判断したことから、別れを切り出す際はサークルの別の役員の方に相談し、また「もし彼がいなくなっても部はきちんと運営できる」と仰っていただいた事から別れに踏み切りました。
現状、(彼が諸事情でサークル活動に出られない事もありますが)彼は役員を続投しているようですが、平穏に活動が行えています。

しかし、私は心の中のもやもやとしたものを拭えません。破局したことは後悔はしていません。しかし、元彼のサークルに対する言動の原因が、私が彼に価値観を合わせなかった事であり、それにより彼は好きでもないサークル活動を続けて役員にまでなってしまった事が私の罪であるような気がするのです。
そも、私がいなければ彼はこのようなことをしなかったと思うと、罪悪感や虚無感が湧いてくるのです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それ込みでの「学校」だと思います。

 こんばんは。貴女や彼がどんな人生を送ってきたのか存じませんので、かなーり推測で話すことになり、すみません。また、私は男子校出身で大学は共学でした。そんな人間があなたからの質問を読んで、何某かの回答を試みているわけです。
 ネット上では、言葉は「表面に出ている」額面のまま扱われます。「嫌いです」と出ていれば、そのまま理解するよりありません。それを取り巻く文脈がかなり分かっていれば話は別ですがね。
 そう、むしろ「文脈なしに理解しようとする」方が危険でさえありますよね。裏返せば、近代文学を読んで理解するには「近代というもの=筆者の時代背景」の理解が必要であるようなものです。
 まず、貴女はご自身の価値観を貫いたのですから、それによって罪悪感を感じても「仕方ありません」と諦めるべきです。彼の価値観との間に差があり、埋まらなかったのですから。彼だって罪悪感を感じてもよい場面ではあります。つまり「痛み分け」。「心の中のモヤモヤ」は、どんなに上手く行っているカップルでも起こることで、むしろ「それ込み」で付き合うよりないと思います。
 サークル観や「情報漏洩!」について、私から見ると「彼なりに、自分を大きく見せようとしたり、相手が如何に大切かを言おうとしたのかな?」という推測はできるものの、それは「男子校出身のオッサンの推測」であり、貴女からマイナスに評価されたのであれば、やっぱりダメな行動だったのです。
 でもね、この相談の文章も、かなり推測を含んでいるとは思います。推測というのは「彼の意図を知らずに(聞かなかったにせよ、話さなかったにせよ)」意図を探ることですから。
 多分、学校で習う勉強と実生活の間には、「追加で質問できない/できる」という差があると思います。テストで「この問題文に、質問があるんですけど…」はできませんが、実生活では「それってどういうこと?」と疑問を投げかけていくことができるし、そもそも、そういった態度が「研究」に繋がったりもしますよね(アクティブラーニングとは、これかな?)。
 ということでね。サークルでの人間関係とか、「サークルにどういう態度で臨むか」、そのバリエーションの多さとか、そもそも「いろんな価値観の人がいる」とか、そういった事に気づく・学ぶというのも「学校」の機能の一つと捉えても、良いんじゃないでしょうか。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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質問者からのお礼

回答いただきありがとうございました。
価値観の差異を埋められなかったことを大切にしつつ、他者と自分の価値観の差異を大切にしていこうと思います。

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