hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

これは真実?妄想?

回答数回答 1
有り難し有り難し 11

悩み、葛藤の末、感覚だけになった瞬間の、全てを包み込む、心地良い優しさは、何と呼べばいいのでしょうか。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「ほとけふる」です。  智慧の現われ 慈悲

悟りや涅槃、安らいというのは実はそういう身近なところにあります。
ですが一度っきりの体験主義では「昔食たべたイクラはうまかった」と言っているに等しし。
ですから、その安らいの状態を維持して生活に役立てるのが坐禅です。
坐禅はダイレクトに悟り状態に到れます。
人間のもともとの状態は悟り・涅槃なのです。
ゆえに本来成仏と言います。
誰でも悩んだり、苦しむのは嫌です。
悩みや苦しみとは思考のペダルをこいでいる状態なのです。
心は思考のアクセルを踏んだりやペダルをこいでいる状態と、こいでいない状態があるのです。
坐禅は能動的な思考アクション🚵を一切やめてしまいます。
するとアラ、マァ不思議なことにあなたが体験した感受だけ、事実だけ、モノは見えるが思考というテロップが生じないダイレクトワールドの生中継が展開されるではありませんか。
それを非思量・不思量といいます。
そこに徹していくと、私を認める意識が忘じられます。
これを道元禅師は「仏道をならうというは、自己をならい、自己を忘れ、法に証せられることである。」とお示しです。
後はその状態になってみれば自分が一番わかります。
仏教で説かれている法というものの中身そのものになります。
諸行無常 オラが身の上に現われる知覚が常に新たなり
諸法無我 オラが身の上に現われる者は一切人間の思いとは無関係
涅槃寂静 オラが身が触れちょることは人間の見解が無いから静寂
実に端的で簡単です。
そういう様子であると、私とか外の世界、見るもの見られるものというのが分析知をつかさどる左脳が黙っていますからボーダーレスなのです。しかも、暖かくてやはらかなる、ちはやふるならぬ「ほとけふる」。
是非、坐禅会にてここを深めていただきたいと存じます。
当山の坐禅会には「悟り」を世間では語れない人が時々集まります。
悟りなどという言葉を口にすると世間では危ない奴だと思われてしまうのだそうです。
浄土宗さんでは悟りということはあまりいわんでしょうから。言葉が違えども心のありかたは同じということがあります。
禅、涅槃、マインドフル、ヴィパサナー、正覚、お信心、お安心、やすらい、仏の悟りの周波数777Hz。総じてみんな「ほとけふる」。

「ほとけふる わが身の為すことやすめつつ ものとわれと もとよりひとしし」
わたし意識を絶して相手にしてあげる心を慈悲と言います。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
💕禅ママ説法💗 禅ママの超簡単!不安消しテクニック! (*´ 艸`) 人生って、ちょっぴり不安がいっぱいよね? でも大丈夫! 「現実」と「頭の中だけ」をちゃんと見分けられるようになれば、不安なんてちっぽけなものよ! だって、みんな「もしも~」「もしかして~」って、頭の中で勝手にドラマ作っちゃってるだけなんだもん。 (˘ω˘) 「あれが起きたらどうしよう」とか「こんなことになったらどうしよう」って、まだ何も起きてないのに、勝手に心配しちゃうのよね。 だから、今この瞬間、目の前にあるものに意識を集中してみよう! ✨ 見えるもの、聞こえるもの、感じてること… そうすれば、どんなに不安なことがあっても、"今ここ" に戻ってこれるわよ! 心配事って、まるで映画の予告編みたいなのよ。 まだ何も始まってないのに、ドキドキハラハラしちゃうでしょ? でも、実際は、今この瞬間、目の前で起きていることだけをちゃんと見ればいいのよ。 そうすれば、心はもっと穏やかになるわよ。 不安を感じたら、ちょっと立ち止まって考えてみてね。 「この不安、本当に今の私に必要?」 「今、目の前で起きていることは、一体何?」 そうやって、現実と想像の違いに気づけば、不安に振り回されることも減っていくわよ。 だから、今日一日も、"今" をしっかり感じて、笑顔で過ごしてね! (*´ 艸`) じゃ、行ってらっしゃい!

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ