回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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聖歌もまたいいもんですよ。
”聖歌が嫌いになった”
え?そうなんですか?
”仏教の教えを少しずつ理解するウチに”
もしかすると、理解というより誤解をしたかもしれませんね。
仏教への理解がもっと深まれば、きっとまた聖歌も嫌いではなくなりますよ。
ちなみに、同じ仏教の中でも◯◯経は好きだけど、△△経は嫌いだという人も結構います。念仏は◎だけど題目は✕、あるいは題目は◎だけど念仏は✕という、議論というよりは、他宗教から見れば内輪揉めのようなものも結構昔からありますが、まぁ好みは個人の自由とはいえ、なんだかおかしなものですね(笑)
それだけ仏教に深く馴染まれたということかも
おっしゃるとおり、仏教への学びが深まると歌詞に対し、アレッと思うことは増えます。教義などと違う言葉や考え方が目についてしまうからですね。私もよく感じていることなので、やっぱりそうかな、と思いながらお尋ねの文章を拝読しました。
しかし、歌詞には歌詞なりの限定がありますし、作詞者が教理を究めた仏教学者であるわけでもなく、子供や大衆に向けて作られたものである以上、ある程度は避けられないことだと思うのです。
そんなわけですから、批判的に聞くのではちょっとやめにしておかれてはいかがですか。本来文字や言葉にならない仏教をあえて語調の制限のなかで言葉にしくださった歌詞を、それはそれとして味わうことかと思うのです。答えになっているでしょうか。
まだまだ
こんにちは。
私の寺の近くに、キリスト教系の学校があり、檀家さんのお子様がその学校に通っていたりするのですが、そのようなお子さまこそ、仏教に興味を持ってくださっていて、信仰というのものは根っこでつながっているんだなぁと感じます。
仏教は寛容の宗教とも言われます。仏教は、どんな宗教でも認め受け入れることができる宗教と考えます。聖歌が嫌いになってしまったら「うーん、自分の信仰もまだまだだな」と思うようにすると良いと思います。
質問者からのお礼
申し訳ありません,ここで僕が聖歌と書いたのはキリスト教の聖歌です.misleadingな書き方をして申し訳ありません.光禪様のおっしゃる通り頑張ろうと思います.