ずーっとこんな感じで生きていくのかな
自分が嫌いです
もう31歳、そこそこ人生歩いてきて
経験から人間性ができている気がして
全て顔に、体に、態度に、出ている気がして
鏡を見たくありません
自分を好きになれない自分が嫌いです
『ありのままの自分を認める』
の意味が、つかめずにいます
幼少期から、『お姉さんなんだから』と言われ続け
甘えたこともなく
気がつけば、自分がここにいるのに理由がないと、手が震えます
人のためになっていなければ、ここにいてはいけない気がします
自分を愛してくれる人もいるのでしょう
でも、私にはそれを感じとる力がありません
人間不信、疑心暗鬼
こんな言葉を最近知りましたが、
人を信じるということがわかりません
寂しいと思う自分もいますが
それを伝える人がいません
こんな自分が、子育てをしていることが
この先不安だし
子供を私のように不孝にするのではないかと思っています
自分自身もこのまま生きてこのまま死ぬことに不満があるのに、どういう心持ちにしたら良いのか、わかりかねています
わかりにくく、申し訳ありませんが、御指南いただけませんでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご自身の経験をもとにお子様へ何かを伝えて下さい
この31年間、よく歩いて来られましたね。
人に”何か”をしなければ、受け入れてもらえない。
何かを与えなければ、一人前の”人”として認めてもらえない。
そう思ってしまう。
実際にはそうではないかも知れないのに。
幼少期から、ずっとガマンを繰り返し、もう自分の価値がどこにあるか、さっぱり分からなくなられたのでしょう。
31年の人生を積み重ね、母親となった今だからこそ実感した自分の姿。
”何か”をしなければ、人から受け入れられない、としか思えない自分。
ありのまま受け止めてくれる人がいるかも知れない、と頭では理解しながらも、それを拒んでいる自分。
自分が嫌になってしまっても、人間不信に陥っても、なんら不思議ではありません。
さっちゃんママさんは、人から無条件に受け入れられる権利があります。
実際は、あなたもそう思われています。
ただ、心の闇が「ガマンしなさい、そんなはずはない」と邪魔をしているのです。
あなたの心が、あなたを苦しめている。
お子様がおられますね。
仮にさっちゃんとしましょう。
あなたは、さっちゃんに同じような苦しみを受けて欲しくないと願われています。
では、あなたの抑圧された幼少期を振り返り、さっちゃんを無条件で愛してあげて下さい。
これは、苦しみが何かを知る、あなたしかできないのです。
それと同時に、自分の幼少期と同じパターンで育てかねないという危険が、あなたの中に存在しています。
どうか、さっちゃんに自由を与えてあげて下さい。
無条件で人から愛されるんだと、思える人に育ててあげて下さい。
子供は自分の分身です。
そんなさっちゃんを見て、あなたも実感して欲しいのです。
自分も、人から愛されてもいいんだなと。
『ありのままの自分を認める』
それは、頭で考えても答えは出ません。
そうなって、初めて実感できるものではないかと、私は思います。
質問者からのお礼
柳原様
お早い回答、感謝いたします。回答を読み、私は自分の在り方を考えていたのだと、気づかされました、おかしなものですね。人のために生きようと、それが自分の生き方にできないかと考えていた日々を思い出しました。ありがとうございました。
海老原様
受け止めてくださり、ありがとうございます。涙がとまりませんでした。人間不信なのも、生きにくいのも、全て自分が悪いとどこかで思っていました。ありのままの自分を認めるとは、悪いと責めることではないのかもしれませんね。まだわかりませんが、今少し楽になった自分がいることに、感謝します。さっちゃんに、自分に、もっともっと向き合いたいと思います。ありがとうございました。