労働契約書が配布物入れに無造作に入れられていた。
一年更新の非正規雇用で次回6年目になります。
雇用期間は4月1日から3月末日までになります。
先日、3月22日に出勤すると私個人の配布物入れの引き出しに雇用契約書が入れてありました。
そこは私の名前が記載してありますが鍵もありませんし誰でも見ることが出来ましす外部の第三者からも見ようと思えば見ることが出来ます。
内容は契約書と私の控えが一通、納得できたら署名捺印して総務に提出しろとのことでした。
昨年の更新は一昨年の年末に話があり、その時は次回からきちんと説明をして契約をしたいので年末の早い時期に行うとしていましたが今年は3月も半ばが過ぎてしかもそんな感じで置かれていました。
ぞんざいは扱いは今始まったことではありませんが、悔しいと言いますかなんとも言えない気持ちになりました。
職場の決めた人にとってはあまり考えもなしにやったことかもしれませんが、私にとってはこれからの一年が決まる大事な書類です。
それを適当にやられたようで嫌な思いでいっぱいでした。
所詮、そんな職場だと期待せず金を稼ぐところと割り切るしかないですね。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
書類は書類。書類はあなたではない。
考えすぎだと思います。
あなたが印鑑を押さないかぎり、契約書として完成していないわけですから、その紙はただの書類にすぎません。
世間では「働き方改革」と言われ、より効率的な仕事をして残業を減らしましょうという世の中になりつつあります。
失礼ながら、そのようなことにこだわっている時間を、もっと有効活用した方が良いと思いませんか?
欲・怒り・怠け・プライド等の煩悩は、悩み苦しみ・ストレスの原因になります。
プライドの煩悩を拡大するのをやめましょう。
その紙切れは、あなた自身ではありません。
書類の扱いがぞんざいだからといって、あなた自身がぞんざいに扱われたわけではないのです。
自分の契約書→自分の一部→自分自身と同じ、
みたいに自我を拡大すると、色んな場面で生活が苦しくなりますからね。