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釣り

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いつもご回答頂きありがとうございます。
来月私は、職場の上司の方に釣りへ連れて行って頂くことになりました。

釣りは幼い頃からしていたので楽しみなのですが、大人になってから釣りの餌になる虫を殺して針につけることや、魚を釣ることに対して可哀想だとか残酷だと思うようになりました。
最近はご飯を頂く時でさえ、そのようなことを考えてしまう時があります。

命を頂かないと生きていけないこと、この気持ちは決して慈悲や優しさなんかじゃなくて、汚い自分自信から出たエゴや綺麗事なんだということは自分でも分かっているつもりです。

それでもせっかく上司のご好意で連れて行ってもらえることが決まった釣りが億劫に思えてしまいます。

この気持ちにはどうやって区切りをつければいいのでしょうか。

我ながら本当にみっともない質問をしてしまい大変申し訳ありませんが、どうかよろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今のままのあなたでいいと思いますよ。
それに、釣りの楽しみは釣りだけではないですよね。
釣竿の先だけでなく、川や海や綺麗な景色を眺めて、仕事のことも忘れて、ぼ〜っとする、それも楽しみの1つではないでしょうか。
釣果は少し抑え気味にして、何も考えずに気持ちをリフレッシュしたらいいと思いますよ。
魚を釣ったら心の中で「次は人間に生まれてきますように」と祈りましょう。
食事の時は「命をいただきます。この命に報いるためにも、しっかり生きていきます。」という気持ちで「いただきます」と手を合わせましょうね。
魚だけではないのですよ。米粒1つも同じ命です。感謝の気持ちと、それに報いるために生きる決意、それを忘れないようにしましょう。

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

柳原様
大変勉強になりました。そうですよね、気持ちに区切りをつけるなんて間違っていました。
命を頂いているという事実を認め感謝することはもちろん、自分は尊い命を日々奪っているという慚愧の気持ちを忘れずに現実と向き合っていきたいと思います。
ありがとうございました。

三宅様
ありがとうございます。
仰ってくださったように、こんな自分の血と肉となってくれた命に恥じない為にもどんなにつらいことがあっても頑張って乗り越えようという気持ちになりました。
これからは自分が頂く命が、懸命に生きた時間を無駄にしないよう心掛けて生きていきたいと思います。

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