別れるべきでしょうか。
初めまして。
付き合っている彼女のことについて相談です。
今の彼女とは同じ職場で出会いました。
これまでも何人か同じ職場の女性とお付き合いしており、浮気をしたこともありました。
今の彼女とのきっかけも、交際中に浮気をしてしまい、乗り換えるという形でした。
付き合う前から友達で、仲良く付き合っていたのですが、徐々に大らかだった彼女が変わっていきました。
以前の奔放だった私を知っているために、彼女自身が、「私にも同じ事をされるのではないか?」と疑い始めたのです。
私は、こんなに好きになった人は初めてだとか、絶対に同じ過ちはしないと繰り返し伝えましたし、付き合った時からそうすると誓っていました。ですが、一向に信じてくれません。
彼女の怒りは次第に強くなっていき、些細なことで喧嘩というか一方的に怒りをぶつけられる日々が続きました。その時の彼女の顔はそれはもう見た事がないほど怖くて、かけられる言葉も耐えられるようなものではありませんでした。
そんな日々が続くにつれ、私は彼女にたいする気持ちが冷めるばかりか、機嫌がいい時も悪い時も彼女の事がすっかり怖くなってしまいました。
別れ話には何度もなりましたが、いつもこじれてしまいます。
どれだけ喧嘩になって腹がたっても、自分が折れる事で場を収めようとしてしまっています。もうとっくに好きじゃないのに、「好きだよ」などと言って機嫌を取ろうとしてしまいます。
責められた恐怖に打ち勝つ事ができず、いつも嘘をついてしまいます。本当の事を言おうにも、今まで嘘をついていた事でさらに逆上されるのがとにかく怖くて、何もできないのです。
それに、こんなにも別れたいと思っているのも無責任で、別れたいという欲に囚われているのではないかとも思ってしまうのです。
喧嘩になっても私が我慢して彼女に合わせれば彼女の心は落ち着きます。それは一瞬ですが安らぎを与えているので、私はこのまま自分を抑えていた方がいいのではないか、けど冷静に考えるとこんなに苦しみながら付き合うのはお互いにとって良くないし...とものすごく迷いの多い毎日を過ごしてしまっています。
今からでも、好きではないと伝えて別れるべきでしょうか。それとも、別れて自由になりたいという思いは捨てて、彼女を支えるべきでしょうか。
人にいやなことをはっきり言えない。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
女性は自分勝手。男性も自分勝手。…ではいけない。
まず、女性に対して「乗り換え」という言葉を使っちゃう。そんなアナタにはもう少し女性に対する尊厳や尊重、故人に対する思いやり感、生命として本当に崇められるほどの精神を持ってほしいと思います。軽いつもりで使ってるのでしょうが、そういう所にも人間性はあらわれるもの。
さてさて、お勧めの方法は、自分を捨てて完全にその女性だけの存在になりましょう。たとえ話ですが、その女性が坊主頭になって私と一緒にみそぎの行脚として四国のお遍路さんツアーに行きなさい👠と言われたら絶対服従でそうすることです。ま、言わないでしょうが。だからこそ、そういう服従精神を示すのです。完全に犬になりましょう。ワンワン。何となくその人はあなたを独占したい感が感じられます。「完全に犬。完全に犬。俺はなってみせる。彼女の完全に忠実なる犬に。」これは我を捨てるお唱えだと思い、彼女と会うたびに念じましょう。
ただし、これは起承転結の起です。だんだん、落ち着いてきたら承。それだけでは四天王像に踏まれている天邪鬼(あまのじゃく 要・画像検索のこと)のような尻に敷かれ足に踏まれる👠存在となってその女性のエゴを満たすだけの人生になってしまい、あなたの母ちゃん父ちゃんから心配される人生を歩むことになります。
同時進行であなたの人生において2人がどんどん人格的にも人間性も高まるような「導き先」を仏教を学んでお互いに高めあいましょう。
ぶっちゃけ結婚するとお互い本性丸出しです。我が強い人間をパートナーに持つとホントに苦労します。恋愛時にはそれが見えないのです。だからあなたが尻に敷かれながらにでも「本当に人はどうあるべきか」をマスターすることです。
あい得がどうであれ自分の我は自分でしずめる。
そして結論は、相手のわがままや自分勝手な一面を伴侶であるあなたが導いていく。
パートーなーとは相手が駄目だったらポイ、ではいけません。
その人の人間性をも向上させる度量を持っていなければいけません。
そういう話し合いができてこそ、真の伴侶です。
これは話し合うべき価値のあることです。
仏教的最高の男女関係とはお互いに菩提心・精神的向上心をもって相手を助ける。救う。よりよくして差し上げるという救いの精神をもって接することです。
自分中心なのは恋。
相手を想えるのは愛。
困った相手も救えるのが慈悲。
本当の優しさって?
みたかさん、こんにちは。
拝読いたしました。
何人かの職場の女性と交際し、浮気までされた。
今回の件に関しましては、バチが当たったのでしょう。
仏罰という意味ではありません。
仏様は罰を与えませんので。
今までの行いを見直すいい機会であると、少なくとも私はそう思います。
彼女は略奪愛のような形であなたとお付き合いされました。
いくら、あなたがむずがゆくなる言葉をささやいても、通じない可能性の方が大きいでしょう。
みたかさんは、ガマンしたり、機嫌をとっていれば、彼女をいい気分にさせていると思われていますが、結局はまたケンカが始まりますね。
同じことの繰り返しであると、私は思いますがいかがでしょうか?
信用されていないのではありませんか。
それであなたは、楽しいのでしょうか?
あなたの苦しみの元は「別れられない」ではなく「いい顔しかできない」です。
誰からでも好かれようという考え方が、今の状況を生み、浮気まで発展してしまうのです。
本当のあなたは、そこですか?
「彼女を支えるべきか・・・」
人のために奉仕しているその行為。
それは本当の優しさでしょうか?
別れるかどうするか。
よほどヒドイ状況ならば、私はアドバイス致しますが。
ここはあなたが考える問題です。
質問者からのお礼
丹下覚元さま
言葉遣いの事、ご指摘くださりありがとうございます。確かに命ある2人の話なのに、不適切な言葉だったと思います。
そして、自分ばかりのことを考えてしまっていて、慈悲の心で接する事ができてなかったと思います。
海老原学善さま
仰る通りです..私はいい顔しかできなくて苦しんでいます。そして嘘の優しさを振りかざして、相手を迷わせています。
ケンカが絶えないのも信頼されないのも、仕方ないと思います。
この事をここまでありのままに相談したのは、恥ずかしながらここでが初めてです。苦しみを紛らわすために読書をしていく中で仏教に出会い、頼らせていただきました。お二人の愛のあるお言葉をいただき、私の問題点が明確になった気がします。とにかく私がどうするかなので、これからがんばります。
お二人とも、お忙しいところ私の質問にお答えいただき、本当にありがとうございました。