どちらを選べばいいのか、答えを出せません
どうしても答えを出せずにいるため、またこちらに相談をさせて下さい。
音楽関係の職場で調律師を本気で目指さないかと言われています。
調律師は大昔に一度挫折をして、当時は精神的な痛みも伴いました。
自殺未遂し精神科に通ったり耳が聞こえなくなったりもしました。
今回だけでなく「せっかく途中まで技術を身につけたのだから」とこの職場で今までも何度か調律の話は持ちかけられたことはありました。
その度にリベンジする気になっていたのですが、事情があり少し調律から離れ、本当にやりたいのか分からなくなっています。
まず調律師になるために再チャレンジするには、聴力限界と言われる年齢をすでに大幅に上回ってしまっていること。
それに何よりも、再チャレンジしてやっぱり駄目だった場合に、昔挫折したときと同じように周囲の人に「あいつはなんてだらしない駄目人間なんだ」と失望されることが、とても怖いです。
私はずっとアルバイトとして働いています。
それは過去の挫折から「もう何かに縛られ自殺未遂したりする人生は嫌だ。趣味に生きよう。仕事は趣味のための手段として割り切ろう」と思ったからです。
しかし周りの人が、バイトから音楽の講師になったり専門の技術を身につけていったりしていて、ずっとアルバイトのままの私は、このままでいいんだろうか?私って無価値なんじゃないか?と最近強く考えます。
そんな中での調律の話でした。
しかもこれが最後のお誘いです。
もう二度とないチャンスだと思う一方で、もうやりたくない縛られたくないという気持ちも強く、自分がどうしたいのかが自分のことなのに全く見えません。
話があってから2週間以上経過しましたが、未だに答えを出せず、眠れない日々が続いています。
優柔不断さがすでに上司からは呆れられつつあり、チャレンジする前からもう失望されたあの恐ろしさを思い出しています。
調律を選ばなかった場合、また周りと自分を比べて自己嫌悪になる生活が再開します。
調律を選んだ場合、生き甲斐の趣味を奪われ過去の経験から毎日怯えて生活することになります。でも手に技術を持つということは、何も見えない将来に一筋の光をくれるものだとも思います。
しかしどっちを選んでも明るい未来が見えません…どうしたらいいのか…。
どうかアドバイスをいただけたら幸いです。
質問者からのお礼
お言葉、ありがとうございます。
プロセスと言う考え方は今の自分にないもので、目から鱗でした。
ただ今回は現役の調律師の方があと1年で退職。急遽次の人が必要になっており、調律師になるかならないかを迫られてる状況です。
今朝、半年学んで駄目だったら諦めるという妥協案を考え付いたのですが、たぶんこんな悠長な案はもうこの段階では通用しないと思います。
そんな中で周りの人たちの評価がどうしても気になってしまって押し潰されそうな気持ちです。
お礼欄にまたこまごまと書いてしまって申し訳ありません。
評価は気にしないということは今の私にはとても難しいですが、四角四面な自分にとって考え付かなかったプロセスという考え方がとても参考になりました。
ありがとうございました。