部下の表情が気になる
すいません。
すごく心が苦しいです。
私は、経営者の娘です。親と同じ会社で働いています。
部下の、表情にすごく気になる自分がいます。
注意したくても、気をつかって、できず、
自分は、上司なのに強くいれないのが、とても苦しいです。
喧嘩もしたくないですし、、
注意したら、逆ギレされたこともあります。
部下に、仕事を辞めてもらっても、困る立場で。
私は、育児もあるのて、部下より、早い時間で仕事を終わらせてもらっているので、強くも言えず。どーせ、早く帰るくせに。と、思われてるんだろーな。
と、思います。
私は、部下が大嫌いです。嫌で嫌でたまらないのに、毎日顔合わせるのもしんどいです。
だけど、社会人だから、と、、、
割りきる事が出来る時と、逃げ出したい。つらい。
どーして、部下にそんな偉そうにされないといけないの。と、思う日もぁり。
自分の心もすごくムラがあって、辛いです。
これから、どーやって部下と接していくと、幸せになれるのでしょー。。
私の心は、どぉゆう考えでいけば、楽になれるのでしょぅ。。
お願いします。
教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
『言葉』。
「部下」という言葉に引っかかってしまっているのではないでしょうか。
何となくですが、わかなさんは、とても周りの方々のためを想うことのできる方のように感じます。だからこそこのような質問をされたのだと思うのです。
苦しいですよね。
『私は、部下が大嫌いです。』
とおっしゃいましたね。
部下が嫌いなのではなく、「部下」という言葉が嫌いなのではありませんか。
部下だから注意しなければいけないとか。
上司だから強く出なければいけないとか。
よけいつらくなってしまっていませんか。
部下という言葉があなたを苦しめているように感じます。
そんな単なる言葉遊びで、悩みが晴れるもんか、と思われるかもしれませんね。
でも言葉の影響は重いと私は感じます。
仏教も、おそらくは「言葉」や「言語」に気を付けるようにとたびたび教えてくれているように思います。
「部下」とみなされることは
本来とても怖いことです。
「部下」なのに偉そうに。
このように思わせているのは
わかなさんの本心ではなく、「部下」という言葉のせいだと思います。
そこから出発してみませんか。
「部下」の人たちが嫌いなのは致し方ない部分もあるでしょう。
でもその人たちのやっている仕事まで嫌いにならないでほしいのです。
たとえ「部下」の人たちは愛せなくても
「部下の仕事」だけは、愛し続けてほしいのです。
そこにいる「人間」自体は「部下」でもなんでもないひとりの人間ですから。
ある意味とてもシンプルだと思います。
すなわち
「あなたたちのやっている仕事はとてもたいせつな価値があるんだよ」と
信じ続けられる、
愛し続けられる、
そんな「上司」であってほしいと
願っています。
もしそうなら
価値ある仕事を受け持つ人そのものに対しても見方が変わるのではないでしょうか。
その人をどうこうというより、その人の仕事がいかに価値あることかを信じることができる。
それはわかなさんにしかできない、たいせつな役割だと思います。
100%でなくとも、その役割をわかなさんが全うしようとするなら。
きっと現場の方々も感じるはずです。
大事な役割を、お互い背負っているのだと。
私はそう信じています。