何をする?
お世話になります。
私がまだ若かりし頃です。
山のような課題に取り組んでいたとき
宗教の時間というラジオ番組を
聴いていました。
どこの誰かはわかりませんが
その時間は、どこかのお坊様の話で
内容は目の前のキュウリでした。
あなたは、キュウリを切っています。
でも、あなたは指を切ってしまった。
キュウリを切らずに指を切ってしまった。
なぜか?
料理の腕が悪い訳でも、
下手な訳でもありません。
あなたは目の前のキュウリではなく、
違うことを考えてしまったからです。
キュウリを切ればいいのです。
キュウリを切るときは、キュウリだけ
切ればいいのです。
指を切らず、ただキュウリを切ればいい。
そんな話でした。
その時は、「何言うてんの?訳のわからんお坊さんやな」と笑ってしまいましたが
この話を、何十年経っても
忘れた事がありません。
何かあると
キュウリを切ればいい
目の前のキュウリや
そう思いながら、解決してきました。
今の私の前にあるのは
何だと思われますか?
私は何を相手にすれば
最後まで生きていけると思いますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
目の前の事をやるだけ +追記
なるほどいいお話を聞きましたね。大切な事はまさにそこです。
その質問を書いたときには、あなたの目の前にはパソコン(またはスマホ)の画面があった。
今答えを読んでいる時も、パソコン(またはスマホ)の画面です。
食事の時は食事、排便の時は排便。「目の前にあるきゅうり」とはそういう事だと思います。
ご質問を書くときに他の事を考えながら質問を書きましたか?この答えは他の事を考えながら読んでいますか?質問の時は質問だけ、答えを読むときは答えだけです。
ご縁によって目の前に起こったでき事に集中し、よそ見をせずそれをやるだけです。
※お礼を読んで追記
なるほど。お悔やみを申し上げます。つらかったですね。
さて、あなたが今、頭の中(お礼の中や今までの問答の中)でぐるぐるやっているのは「きゅうり」ではないです。それをやっているから、まさに今指を切ってしまっている状態なのです。
ご飯の準備をするときは、栄養のバランスの事を考え、手順を考え、火加減の事を考える。頭のぐるぐるはせず、それだけを全身でやるわけです。ご飯を食べるときは、ていねいに箸をはこび、良く噛んで食べ、よく味わって食べる。頭のぐるぐるはせず、それだけを全身でやる、そういう事です。
娘さんの事を考える事は、もちろん悪い事じゃないです。時々思い出し、手を合わせましょう。そしてその時は、全身で娘さんの事です。
もし、娘さんの事で何か、と思ったら、質問のなかにヒントがあります。「私のように絶望している人のこと」これです。例えば自死遺族の会のような会に参加して、同じような経験をした方と悲しみを分かち合うとか、死にたいと考えている人を支援するような会に入るとか、そういう事じゃないのかなぁ、と思いました。
あまりご無理なさいませんように。
質問者からのお礼
光禪様、ご回答ありがとうございました。
朝がきたら起き、仕事して、三度の食事もして
夜かきたら寝る。今はこんな毎日です。
生きるのが精一杯の時を過ぎ、気持ちに余裕が出てきたのか、それだけの毎日がとても
虚しく感じられます。
何かないだろうか、私にもできること。
例えば私が娘にしてやれなかったこと。
例えば私のように絶望している人のこと。
そんなことを考えてしまうのです。
その「何か」は目の前のキュウリではないのでしょうか?
それを考えると、指を切ってしまうでしょうか?
私はただ、生きるだけでよいのでしょうか?
これは心の余裕なのか、ただの隙間なのか。
自分でもわかりません。
丁寧な追記、ありがとうございました。
キュウリを切ってるつもりが
指を切っていたのですね。
頭の中のぐるぐるは、止めようとしても
止まらないものですね。
自分の事なのに、コントロールできない感じです。
仕事以外でも外に出ようと思えるように
なってきたので、お寺や神社、自分に
向き合えるような所にも行ってみようと思います。
余計なぐるぐるが止まりますように。
ありがとうございました。