恋愛に対する不安と因果応報について。
初めて、質問をさせて頂きます。空回り小僧と申します。
私は現在30歳で、遠距離恋愛をしております。相手は22歳の大学生。年は離れてはいますが、将来は結婚を約束しており(口約束ですが…)、半年の付き合いです。その彼女は非常に明るくて活発なタイプで、同性異性を問わず友人も多く、活動的な子です。私もそこに惹かれて、お付き合いをさせていただいております。
ところが最近、彼女の友人の一人「A君」と彼女の関係が不安になっています。A君と彼女は非常に仲が良く、いつも一緒に行動しており、二人だけで遊びに行く、旅行に行く、同じ布団に寝る、酔ったらキスをせがんでしまう…。など、「友達以上恋人未満」の関係の二人であることを知らされました。(←彼女自身がこう言いました。けれでも、今まで一度も肉体関係はないそうです。)
私は彼女には色んな経験をしてもらって、視野を広くもった人になって欲しいと思っているので、束縛はしたくありませんが、この関係は正直不安です。ただ、彼女の恋愛観は「彼氏よりもA君が大事」といっており、言えば私たちの関係は終わります。彼女に対して、「A君と付き合う選択肢は今まで無かったの?」と聞いてみたところ、「付き合うという気持ちはない。今の関係が一番良い」と言います。4月には二人が社会人になり環境も変われば、関係も変わるかと期待して、それまで辛抱して様子を見ることも考えています。それでも時々、彼女の倫理観や貞操観念を疑ってしまい、信じることが出来なくなりそうです。毎日がどうしようも無く不安だけれども、彼女にはこの思いをぶつけることは出来ない…。彼女は今まで出遇った女性の中で、初めて自分から結婚したいと思っているほど好きなのです。どんなことがあっても別れたくはありません。
私はどんな心持ちをすれば良いのでしょうか?どんな考えを持てばいいのでしょうか?
また、彼女には私という彼氏がいることはA君も知っています。その私が、聞けば悲しむような行動を軽々しくするA君の考えが理解出来ません。
「人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んでしまえ」ではありませんが、彼の行動に対しての因果応報として、罰は下ることはあるのでしょうか?というか、罰を下して欲しいと願うのは間違っているのでしょうか?
仏教の教えは、一切皆苦。これをありのまま受け入れろとは、厳しすぎます…。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
馬を送ります。
うちにメスを盗られて気性の荒くなったオス馬がいます。私が天に代わって「敵に塩を送る」ならぬ「馬を送り」ますので、送り先住所を教えてください。
(以下、緩和ケアの為、所々にジョークを挟んでますので、サラリと御笑納の程を)
結論「先に一度バッサリ、フッてしまいましょう(笑)」反省させ、自分がいかに都合よく生きているかを気づかせる。
①オトコというものはそういう事を嫌がる
②特に私はそういうことが嫌い
③夫婦でいうなら矢口真里と同じ←離婚
④今の時点でそれだけ多情な女性ならばその後も同じ、無理。
と理解してもらうということです。
もちろん、それを伝えたとたん、聞きたくなかった、ああ…知らないほうがよかった爆弾情報で返り討ちを受ける可能性がありますので、当日は「王様に聞かせてはいけない情報を上手にカットする通訳&侍従長のような方」を同参させるとあなたは傷つかずにすむでしょう。
あなたから理由を伝え別れをつげた直後、メール着信拒否。一切連絡も取らない。
それでお互いの火が消えます。(´・ω・) 本気なら家にやってくるでしょう。
この世に嫉妬ほど苦しい感情はありません。
悪縁、悪因は❝あなたからカット❞しなければさらにアナタは深い損失感情、フラれた感、裏切られた感、傷を最低十年は負います。
昔のモンゴル、江戸っ子ならまだしも、夫婦・恋人関係でありながら、他の異性と同じ布団入ってベタベタする、なんてことが許されるのはフジテレビの昼ドラか「ビバリーヒルズ青春白書」以外にはありません。
彼女がやってることは証拠不十分ながら十分に上等な浮気。つーか絶対シテます(←おっとこれは私の妄想)
その関係を認めるあなたは今世紀のラストサムライ、絶滅寸前の最後のイイヒト認定です。偉い、立派です!あなたのような汚れ無き清らかな心こそ、世を救う力です。いずれ仏教の敷衍に御尽力いただきたいと思います。
怒るかもしれませんが、冷静な状態になっていただくための荒療治だと思って受けとめてください。
追記 : 八方美人病、多情な女性は独特な親子関係によって形成された精神の渇愛状態です。今後も所かまわずイイ顔を振り撒き、応えてくれる相手を求めます。それでも彼女が好きなら、嫉妬心と添い遂げる覚悟で八方美人を空回りさせるべく精神のケア援助をすべきです。馬とはコレのこと→「四馬 道元」ご検索
人を大事にするということ
空回り小僧様
はじめまして。
>A君と彼女は非常に仲が良く、いつも一緒に行動しており、二人だけで遊びに行く、旅行に行く、同じ布団に寝る、酔ったらキスをせがんでしまう…。など、「友達以上恋人未満」の関係の二人であることを知らされました。(←彼女自身がこう言いました。けれでも、今まで一度も肉体関係はないそうです。)
たいへんお辛いことと思います。
自分のパートナーがこうだったら、耐えられそうもありません。
よく辛抱しておられると思います。
また、そのうえで「罰を下して欲しい」と願うのは至極まっとうなことだと思います。
しかし、ここで「罰」が下るのは相手のA君ではなくて彼女の方ではないでしょうか。
空回り小僧さんをキープしつつ、居心地のいいA君ともいちゃいちゃする。
彼女にとって、いまが一番いいのかもしれません。
人間だれしも、たくさんの人にチヤホヤされたらそれはうれしいですものね。
A君に至っては、いつか落ちてくるかもしれない「棚からぼたもち」。
手放すわけはないと思います。
いま一番いいポジションにいる彼女に”変われ”と言っても、なんで変わらなければならないのか分からないのではないでしょうか。
彼女はまだ 「ひとりの人を大事にするということ、それがそのまま自分自身をとても大事にすることにつながる」ということを理解するには、まだ幼いのかもしれません。
しかし、他人が強制したところで反発するのが人の常。
なん度か痛い目を見て学んでいかなければならないのでしょう。
空回り小僧さん。
あなたは彼女が大人になるまで待てますか?
彼女の「罰」は、彼女を大事にしている空回り小僧さんの心を痛めているというかたちであらわれていると思います。
彼女のことを大事にできる空回り小僧さんに、はやく気がついてほしいと切に願っております。
罰をすてよ(思い込み~常楽我浄)
空回り小僧さん、こんにちは。
恋バナですね。うらやましいやら、かなしいやら・・。真剣に悩んでらっしゃること、伝わってきます!
さて、人は思い込みによって苦しむ、特別に挙げるとすれば4つある。・・と、お釈迦さまは言いました。
(この関係は)ずっと続く=常
(この関係は)楽しい=楽
(この関係は)あたりまえ=我
(この関係は)健全=浄
ところがどっこい、そうはいかないようです。空回り小僧さん、痛感してることと存じます。
上記4つ(常楽我浄)について、人生そうはいかないから苦しい!(一切皆苦)です。
でもですよ、そう思うのは無理がないんです。人間ですから。むしろ生きている証拠でしょうし、あなたが彼女のことを好きな証拠ですよね。罰があってほしいと思う証拠でもある。
では、あなた自身A君に罰をくだしますか?その行動はアホですよね。
A君に罰がくだることを望んでおきますか?人間らしい、彼氏らしいですが、そんな願望とっとと捨てましょうか。
常(すでに続いていない)、楽(むしろ悩んじゃって苦しい)、我(罰をくだしたい)、浄(彼女があやしいと思ってる)。
この4つは自然現象といっていい。自然発生するんです。
しかし、わたしたちは人間です。人間の意志の力を使いましょう。ダメな部分を教えてくれているんですから、そこを何とかすればいいんです。
常(よき関係が続くように会いに行くetc.)、楽(楽しい生活を送れるようにサプライズを用意するetc.)、我(意思疎通をもっとはかる)、浄(互いの未来を相談する)。
常楽我浄が続くように、がんばること。よく生きることを、仏教は教えてくれています。
結婚って・・・
彼女はまだ22歳ですし、遠距離恋愛ですし、
A君はいつも彼女と一緒。
あなたよりA君の事が好きなのでは無いでしょうか?
彼女の結婚の口約束ですが、本当に結婚を考えているなら
その様な行動には成らないと思います。
A君の行動より彼女の行動の方が気になります。
「一切皆苦」から「涅槃寂静」へ向けて
空回り小僧様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
拝見致しまして、これは確かにつらい状況であり、空回り小僧様が憤慨なさられて、悲観的になられるのもよく分かることであります。
「仏教の教えは、一切皆苦」・・もちろん、仏教の基本的な法印の一つとして「一切皆苦」、あるいは、「一切行苦」とも申しますが、むしろ、「一切皆苦」よりかは、「一切行苦」の方が使い方としては良いのかもしれません。
私たちは、特に「空と縁起」ということについての真理を知らず、無知、無明にありて、苦しむこととなってしまいます。
あらゆる「行」というのは、諸行、諸々のモノ・コトと捉える場合があれば、私たちの行いとする場合もあります。諸行無常の行とも関連しますが、拙生は、一切行苦については、無知・無明の中における私たちの行いのことと捉えております。つまり、これは「悪業」のことと考えることができるのではないかとも存じます。
もちろん、そう考えますと、無知・無明によらない行い、悪くない行いは苦しみにならないということにもなります。
そして、無知・無明を排しての善なる行いを積むことにて、迷い・苦しみから脱した法印の「涅槃寂静」へ至ることが私たちには求められることになる次第でございます。ですので、「一切皆苦」にだけとらわれて仏教を理解なさられることはお避け賜れましたらとは存じております。
とにかく、今、空回り小僧様の苦しみは、彼女の行い、A君の行いにとらわれて、それに依りて起こっているわけですが、道徳観、倫理観、貞操観においてその行いが悪いか、許されるかどうかは、個々の価値観によっても違うため安易に決めつけることは難しいですが、害する意図がなく、悪気がないのであれば問題がないのかもしれません。ただ、空回り小僧様が実際に苦しんでいる以上はその原因を解決する必要はございます。
ここは正直に、今のご自身の苦しみ、つらい気持ちの理由を彼女、A君にしっかりと伝えることで解決を目指されるが良いのではないかとは存じます。
それでもどうしても無理なようでしたら、それまでにて新たな縁を求められて、より自分が安心して、楽しく、幸せに過ごせれるような相手をお探しになられるのが賢明になるのではないかと存じております。
空回り小僧様のお幸せを祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
釈先生、向井先生、丹下先生、水上先生、川口先生
大変、有り難いご教授、ありがとうございました。各先生方には、お忙しい中にもかかわらず、私の悩みに共感してくださり、そしてアドバイスをありがとうございました。
先生方よりのアドバイスを受けて、先週より考え続けて出した思いを、この土日に彼女に会いに行き、伝えてきました。
結果は、別れることにしました。
お互いに正直な思いを伝えました。けれど、私は「変わって欲しい」彼女は「変わりたくない」と、決して考えが合う二人ではありませんでしたので、二人の関係を終わらせました。これ以上付き合いが続くと、お互いに傷つけ合い、辛い思いをしてしまうだけでしょう。これで出会う前の関係に戻りました。
もう二度と彼女には会うことはないでしょうし、お互いの人生をそれぞれに生きて行くだけです。
私も、新しい出会いを期待して、これからも恋愛をしていきたいと思います。
辛い思いもしましたが、本当にいい経験をさせてもらいました。
最後になりましたが、先生方には本当に感謝しています。「ハスノハ」に相談させて頂き、前に進むことが出来るようになりました。ありがとうございました。