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命日について

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こんばんは。命日について少しあやふやな(迷信も入っているかも)認識を持っているので、お坊様にお訊きして、この機会に正すことができればと思いました。お暇な時に、教えてくださると嬉しいです。

私は今まで、亡くなった家族の命日は彼らが天国へ旅立った大切な日として覚えていました。父が仏教式に葬られて、一周忌や三周忌という法事の段階を経て仏様に近づいていくと読み聞きしたので、できるだけみんなで法事に参加して祈りました。
命日とは亡くなった人を思い出し(他の日でも思い出すけれど)、供養する特別な記念日と考えていてよいでしょうか。

お坊様のお話ではなかったのですが、命日は亡くなった人の霊の力が高まって、生きている人達の世界に降りてこられる日だと聞いたことがあります。迷信ぽいけれど、命日に降りてこられるならお父さんと夢で会えたらなあなんて思ってしまいました。今でも本当だったらいいのにとつい考えてしまいます。そういう話を信じて追うとよくないとわかってはいるけど、いまだに引っかかりそうです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

宗派等で一概に言えないのですが

先に重箱の隅をつついておくと、皆さんよく間違えがちなのですが天国はキリスト教です。じゃあ仏教はどこに行くか?具体的には宗派によって違うのでチト言いずらいものがあります。まぁ、あの世です。
あと1年は1『周』忌ですが、2年からは3『回』忌です。一周忌は満で数えていて、三回忌からは数えで数えているのです。

「法事の段階を経て仏様に近づいていく」というのは宗派や各お寺によって捉え方が違いますね。これはそれぞれの修行観や成仏観の違いがダイレクトに現れますので、表現にだいぶ違いがあります。

「命日とは亡くなった人を思い出し(他の日でも思い出すけれど)、供養する特別な記念日」はおそらくどの宗派でもこれで通用すると思います。
今は仕事の休みが取りにくくて、命日に限らずとも早めならオッケーとか色んなルール(ローカルルール?)があります。でも昔の人は法事のためなら簡単に仕事を休むことができたんですよね。もっとも普段から今ほど休みなく働く感じでは無かったのでしょうが。
ウチはかなり田舎ですが、かなりお年を召した方々のお話を聞いていると、「1週間くらいかけて法事してたな。親戚やご近所さんみんな集まって毎日太鼓叩いたりして楽しかった。」「法事の日は殺生したらお婆ちゃんにひどく叱られた」というような今とはかなり違った様子をうかがえます。

歴史的なことを言えば、お釈迦さまの頃の法事は『お坊さんを自宅に招いて食事を提供し、お坊さんがお説教をする』のが本来だったそうです。お食事は托鉢(たくはつ)のお呼ばれバージョン。「私の分まで修行して下さい」と修行の支援をすることで功徳を集めます。そしてお説教で教えを学ぶ。つまり、本来は法事とは仏教に親しむ日なんですね。亡くなった人はそれを出来ないから代わりにやってあげようという発想も昔からありました。
お経は仏さまの教えですから、読経はお説教の亜種と言えます。お釈迦さまの頃の優先順位は①食事、②お説教、読経は当時存在せずだったのですが、今は逆転してて面白いです。食事の提供(供養)の対象もお坊さん⇆故人さんが逆転してます。

「霊の力が高まって」というような話は仏教的に「どこを目指すか」をミスリードしちゃいますよね。私としてはこういう形で故人と会いたいです。
https://hasunoha.jp/questions/14941

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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法事の意味合いは宗派によって違います。

御質問有難うございます。浄土真宗の場合は亡くなってから浄土に生まれさせて頂くので、追善供養や追福供養は行わず、残された人生の真実に目覚めていくために教えを聞く場が法事でございますので、法事や命日を大切にしています。  合掌

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有り難し
おきもち

山寺の住職です。他の仕事と兼務してます。
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質問者からのお礼

大慈先生の頭は何でも出て来るドラえもんの四次元ポケットのような気がしてきました。いつも詳しいご説明をありがとうございます。

三周忌ではなくて三回忌でした。それに、天国と言ってしまってすみません。間違えは直していただいてありがたいので、重箱の隅なんて嫌味なことではないです。

前に、一周忌、三回忌、七回忌、その後も長く続く表を見てこれは何だろう?と思って調べてみたら、故人が仏様になって段階が上がっていくという話を読むか聞くかして、よくわからないけどそういうものなのかと思っていました。それも宗派によって違うのですね....やっぱり難しいです。父は曹洞宗で祖父母は違う宗派、私はキリスト教でぱっと思いつくのは天国、ごちゃごちゃです。

命日に亡くなった人の霊が力を持つという話はあまり考えないようにしています。私は魂の存在を信じていてはっきり否定できないのですが、そういう話はどちらかというと生きている人間が作ったもののような気がするんです。

リンクをありがとうございます。この考えでいけば、どこにいても亡くなった人とつながっていて、悪いことをすれば亡くなった大事な人に悪いことをしているみたいで、できなくなります。回り回ってみんな繋がっている感じなのですね....。

追伸
父の月命日に帰省してお墓参りに行くので、その時に妹を外へ連れ出せればと思っています。

堅田正樹先生、法事のご説明ありがとうございます。

法事の日は祈りというより教えを聴くものだったのですね。私は始め浄土という言葉は天国のことだと思っていたのですが、本を読んでいるとどうも同じではない、というか考えが少し違うようです – いやかなり違うかもしれません。

残された人の心に働く仏様の願い、今でも時々逆転して頭の中がこんがらがることがありますが、この発想なら生きている人も亡くなっている人も迷う人がいなくなってみんな安心できるのではないかと思います。

大慈先生へ、一言追伸させてください

最近の質問と回答から、先生のご出身地が被災されたと知りました。長丁場になるということですが、無理をなされないように生きてください。

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