他人に優しく接するのは承認欲求のために利用している
いつもお世話になっております。
今回はずっと気になっている事をお話させてください。
私は子供の頃から自己肯定感が低くコンプレックスがあり、小心者で卑怯で生きている資格のない人間だと思ってきています。職場では窓口業務をしており、明るく穏やかに接することを心がけており、幸いにも上司や部下、接した方からも良い評価をいただいています。
また、身の丈にあった手の届く範囲で地域のボランティアや募金活動などをさせていただいています。
しかし本当の自分は違います。仕事では失敗したり怒られるのが怖いため自分の出来る範疇を超えた時はすぐに上司に相談したり、部下に指導する時に怒りを感じても嫌われるのが怖いため優しく指導しています。そして「おんぐはきちんと仕事をこなして部下の指導もしている頼りになる人だ」と承認されたいためにやっています。
地域のボランティアや募金も「ありがとうございます」、「おんぐさんがいると助かります」と言われると「クズのような自分が少しでも役に立っている」という承認欲求の為にやっています。
他人に認められたいが為に仕事やボランティアなどにかこつけて「他人から必要、助かると認められたい」という私利私欲で承認欲求の為に計算ずくでやっている薄汚い人間だと自分を軽蔑してしまい、また自分を認められず苦しくなっています。
私は小学生低学年の時に近所の変質者に性的暴行を受けました。その事実を周囲が知って、同級生からいじめの対象になっていました。その為に自己肯定感が低いことは認識しております。このことは妻にも話しておりません。
鬱になりカウンセリングを受け、自己評価を高めることが少しの間できましたが、やはりだんだんと承認欲求が強くなり、自己肯定感が低くなり他者から評価してもらう→自分を軽蔑する→自己肯定感が低くなり承認欲求が強くなると負のループにななってしまっております。理解は出来ているのですがとめることができません。
どうしたら自己肯定感を高め承認欲求を抑え心穏やかにすることが出来ますでしょうか。また、自分の承認欲求の為にボランティアなどをすることはやはりやめた方がよろしいのでしょうか。
自分の一番直視したくない部分を書いたため乱文になってしまい申し訳ありません。
お坊様方のお知恵をお借りしたく、何卒宜しくお願い致します。
過去に友人に大怪我を負わせ、またイジメで上級生とその家族に性的虐待を受け、相手を石で殴り重傷を負わせました。それ以来自分は本当なら生きている価値の無い穢れた人間だという思考に囚われています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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こんにちは。
私も全く同じです。いつもビクビクして仕事やボランティアをやっています。
承認欲求がめあてとはいえ、他人にたよりにされているのは現実です。それで良いと思いますよ。人の役に立つというのは気持ちの良いものです。
拝読させて頂きました。あなたがそのように振る舞うことによってお仕事も円滑に回り、人から喜ばれたり良い結果がもたらされているならばそれはそれで良いかと思います。
あなたの心の中では動機が不純なのかもしれませんけれどもつながりの中で周りの皆さんに幸せがもたらされているならばそれは結果オーライと思います。
あなた自身が自分自身について固執してしまっているのかと思いますので、先ずは自分のことはさておいて周りの人が豊かに幸せになっているならそれはそれで素直なお気持ちで受け入れてみてはいかがでしょう。
お互い持ちつ持たれつですからね。
自分自分ではなく他人も含めて周りも含めてトータルでいかがかと思いますので。
あなたがこれからも周りの皆さんと仲良くわだかまりなく円滑にコミュニケーションをとりながら皆さんと共に心から喜ばれ豊かに幸せに生きていかれますよう心よりお祈りさせて頂きます。
どうぞ自分に固執せずに片意地を張らずに心を楽になさってみて下さいね。
質問者からのお礼
光禪 様
Kousyo Kuuyo Azuma 様
ありがたいお言葉をありがとうございます。
自分の為にでもボランティアにしたり、仕事でも円滑に回るようにしてもいいんですね。
きっかけはどうあれ、それで周囲が笑顔になったり頼りにされてもいいんですね。
今後は自分を卑下することなく、感謝されたり頼りにされたら笑顔で「ありがとうございます」と前向きに笑顔で答えられるようにしたいと思います。
ありがとうございました。