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充実した毎日を過ごしたい

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有り難し有り難し 10

現在契約社員として事務の仕事をしています。

1年契約で、給料は安いです。昇給、昇格、賞与、もありません。

仕事に本気になれません。

プライベートでは、趣味も、友達もいません。

毎日生きている実感がありません。

何をどうすれば、充実した毎日を送ることができますか?
教えてください。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生きるを味わう!

ジャックさん、こんにちは。

生きている実感はないのですね。
「生」とは、飢えや死の体験です。日本人は今、毎日、ご飯が食べられるので、飢えを知りません。また安全の社会になったので、死というものを経験しなくなりました。 本当は、飢えや死を知ることが生きるエネルギーになるのです。

ジャックさん、機会があれば、断食道場で飢えを経験してみてください。あるいは、死を知る場所、インドのスラムに行って見て下さい。そこで、生きることの大切さ、感謝を味わうことができるでしょう。あなたはそこからのような気がします。

そして命の大切さを理解できたら、無駄な時間を過ごすなんてもったいない。趣味でもスポーツでも、命を燃焼させる生活をしてください。

もちろん、仏教信仰でもいいですよ。うちのお寺なら草刈り無限大にあります。夏の暑さにバテながらの死ぬ思いでの草刈りたくさんできますよ(笑)。

給料が安くとも、契約社員でも、人生を充実生きるには、それも一つのメリットなのです。友達がいないなら是非友達になりましょう。いつでもご連絡ください。あなたの人生を僧侶として友達としてアドバイスします。

がんばって!応援します。合掌

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★僧伽(お友達)になりましょう。一緒に仏教を楽しみましょう★ Email...
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質問者からのお礼

ありがとうございます。

「心構え・生きる智慧」問答一覧

辛くても悲しくても笑っています

わたしは辛くても悲しくても笑ってしまいます。 人から何か言われたり、コンビニの店員さんに答えるだけでも笑ってしまいます。 本心からならいいんです。 でも、心の中は黒い感情でいっぱいです。 たとえば『気安く話しかけてんじゃねーぞ』とか 仕事中なら『お前サボってねーで手伝えよ』とか。 こうなってしまったのは子供の頃、父がわたしに理不尽な事をした時に 怒ってにらみつけたり、泣いたりするとものすごい怒声と暴力があったからです。 それから人前で本心をさらけ出すのが怖くなり、どんな状況でも笑ってしまい、身を守る癖がついてしまいました。 たとえばどうしても嫌な事でも頼まれ続けると受け入れてしまい、その後、その後始末で何年も悩むとか、その後の人生がその時の尻ぬぐいのような感じで終わってしまいます。 頭ではわかっているのですが、条件反射的にそうなってしまいます。 自分の人生を、自分らしく、自分の感情や気持ちを偽らずに生きていくにはどうしたらいいでしょうか? 頭や心では万人に好かれなくていい、自分が好きな人だけに好かれたらいいと思っていてもどうしてもその癖が抜けません。 笑わなかった後の相手の反応がわからず困っています。

有り難し有り難し 3
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父親から煽られる不安や苦しみについて

はじめまして、ときおりHasunohaを覗いて元気をもらっている者です。 父親からの苦しみについて相談させて頂きます。 父親に人生やキャリアの話をすると、その返答に異様に不安を搔き立てられてしまいます。 昨日も、父親と話しているときにはそこまで不安を搔き立てられなかったのですが、寝るときになって悪夢にうなされ、明け方震えで目が覚めました。 以前会社を転職する際も、今から上司に謝って会社に残らせてもらえ!と怒鳴られました。次の会社から海外留学するときも、ようやく落ち着いたと思っていたのにこれらからどうするんだ、いい年だぞと言われました。海外でなんとか職を得て働き始めた今、冒頭の電話をしたら、そんな給料ではやっていけない、その年(アラフォー)になって、仮に日本に帰ったときに仕事があるのか、などなど。とにかく、年齢のこと、お金のことを言われます。 何より、父親と話すと、自分の人生のすべての決断が間違っているように感じます。私は今まで自己肯定感は強い方だったと思います。でも、父親と話すと、とにかく不安ばかり煽られます。言われれば、上場企業で何もせずに定年まで過ごせば一番金銭的にも良かったと思うことがあります。日本企業の安定的な環境のことや退職金など自分が失ったことはよくわかっているのです。苦労して海外で職探しなどしなければよかった、海外なら駐在員でも目指して適当に過ごせばよかった。自分はまともに仕事をして(会社には適当に仕事している人もたくさんいました)、自分のキャリアも考えたり、真面目に働いてきたつもりだったのに、なんでこうも苦しい道ばかり選んだのだろう。自分や自分の人生を肯定できないこと、とても辛いです。また、この自己肯定感は母親がありがたくも与えてくれたものだと思っているので、よけいに苦しいです。 心配してくれているからこその父親の言い方なのだとか、自分はまだまだ学ぶことが多いのだとか、お金だってまだこれから稼ぎうまく老後を過ごすよう努力すればよいのだとか、頭では考えられます。でも、もう不安を煽られたり、年齢のことを言われたり、せっかく一時帰国して会いたいという話をしても今は仕事を頑張るときだと断定されたり、疲れてくるのです。 質問のポイント、背景のご説明も不十分、乱文で大変恐縮ですが、それでも何かお知恵を頂けたらありがたく存じます。

有り難し有り難し 1
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諦める(明らめる)には

こんにちは。 私は、家族に対する期待があり、それを得られないことで苦しんでおります。それを諦めることはできるでしょうか。 私が家族に期待することは、たとえば私が泣いていたら「大丈夫?」「そばにいるよ」などの心配や寄り添いをしてもらうことです。 私の家庭環境は、仕事命で子供には無関心だった父、幼少期に喧嘩して大人になるまで無視され続けた兄、過干渉で頭ごなしに怒る母でした。家庭の中で安心して甘えられる相手がおらず、友人も少なかったです。 大人になって現在、私は結婚して夫と二人暮らしです。夫は付き合っている時は愛情表現が割とあったのですが結婚してからはすっかりなくなりました。さらに、どうやら夫は発達障害の特性があるようだと分かり、他人に共感することがとても苦手な人なんだということが分かりました。 こういうわけで私の家族は、私が求める形で寄り添える人はいません。愛情はそれだけでは無いと頭では理解しています。 父は、お金は何不自由なく出して育ててくれましたし、兄との喧嘩はお互い様です。母の過干渉も心配や愛情からくるものだと理解しています。夫が共感が苦手なのは別に悪いことではありません。 それでも、私は自分が誰かの目の前で泣いている時に誰も声をかけてくれないことが心から辛いです。自分には心配される、愛される価値がないんだとまで思ってしまいます。 「まずは自分から愛すること」や「自分で自分を愛すること」を心掛けてはいるのですが、なかなかうまくできていません。心のどこかで愛されてない自分を諦められない、もしくは納得いってないのかもしれません。 仏教では、諦める=明らめる、ということだと知りました。現実を直視しそれを受け入れて楽になることは私1人でもできるでしょうか?

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母からの虐待を知り辛い。過去の乗り越え方

(編集部より。規約により投稿の一部を変更しています) 30才男性です。この年になって、母親から1〜3才の頃にムチ打ちをうけていた事を知り、何故か悲しい気持ちになり悩んでいます。 私の母親は、ある宗教を信仰していて、父と兄、自分は信仰をしていませんでした。私が幼少期の頃、ストレス性などでなるような病気で手術をして半年程入院しました。 10代の頃はよく他の家庭と違う事や自分の病気の事なので、我慢する事が多く苦しい事が多かったです。 ここ最近、自分が信仰はしていないのですが、母や自分の病気の影響をうけて抑制的?自己犠牲的な考えで生きていた事で、婚約者を傷つけ後悔する事があり婚約者から愛情を感じないと言われました。 それを言われて本当は何をしたいのか悩む事や、過去を知りたいと思い、母親に、自分にもムチ打ちがあったのか聞いてみた所、事実があった事を知りました。 1〜3才の頃だったのでほとんど記憶にはなく、なんとなくあったかもぐらいの記憶でした。 ただその事実を知ると、ふと悲しくなってしまいます。 愛情なんてえられない。どんだけ努力しても手に入らない。と考えてたり、どうせ自分なんて、と考えたりします。 もちろん母にも事情があり、愛情がなかったわけではありませんし、これから自分の生き方をみつけて前向きに生きればいい。その辛い事を乗り越えた自分を褒めたりと頭では理解できているのですが、 何故かふと悲しくなって涙が出てしまう事があります。 これはそういうものと受け入れるべきなのか、親になんであんな事をしたのとぶつけるべきなのか(悲しませたくないからしたくない。)と考えがぐちゃぐちゃになって、今まで良いと思っていた生き方が、なんでそんな生き方をしてたんだろうと、日々悩んだり悲しくなります。 どう自分の辛い過去を乗り越えたらいいでしょうか。 うまく考えがまとまらずすみませんがよろしくお願いします。

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若い後輩の身なり、服装などが気になる。

 ご無沙汰してます。紆余曲折の末、今は相性のいい仕事についていると感じています。  ただ気にかかるのが後輩の若い男の子の服装や態度です。 Yシャツをズボンから出したまま、仕事しています。 私もYシャツをズボンから出したほうが楽です。 でも公共の施設で従事しているため、市民に対応する服装としては失礼だと思い、会社支給のポロシャツを着ています。 その子には機会があっておかしいのではということを伝えました。  そしたら彼はのらりくらり言い訳して最後は「自分もこの会社支給の(ださい)ポロシャツ着なきゃいけないんですかねぇ。あははっ」と私のポロシャツの袖を詰まんで、そう言い放ちました。 正直カチンと来ましたが、幼稚園児に泥だんごをぶつけられたと思うことにします。 そして今シャツ問題は(決着はつけてくれるそうですが)館内でうやむやになっています。  しかしながら、私どういう気持ちでいて働けばいいんですかね? 館の方針としてシャツ出していいのなら、今まで自分の中でだけ気にしていた、お客さんのことなんて気にせず、自分もYシャツ好きに出してしまっていいと思いますか?(ある意味闇堕ち)、ちょっと答えに悩んでいます。  服装の身なりは究極個人の主観でしかないし、時代とともに変わるものです。 そして、私は不躾で失礼な彼にはどう振舞えばいいか。 また、彼じゃなくても間延びした返事、会社の私物(マーカー)や引き出しを乱雑に扱う、そういう新人はいずれどうなるのでしょう?  館内はそれを指導する人がいません。 そして、10年20年後はもっと飛んでもないマナーのない新人が、入るのではと考えると…げんなりしますね…。 私の愚痴に付き合ってくれる僧侶様がいたらご回答お願い致します。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ