幸せを感じたい
幸せが終わってしまうのが怖いんです。
チョコレートの最後の一個が食べられないんです。
幸せな時間が終わってしまうのが怖くて幸せを心から楽しめません。
ディズニーランドに行っても、帰りのことばかり考えてしまいます。
恋人とデートしても、夜一お部屋で一人で眠ることばかり考えてしまいます。
怖いせいなのか、恋人にもつらく当たってしまいます。
正直訴えられたら勝てる気がしないくらいのことは平気で言ってしまうし、それでも何故彼が私を見放さないのか不思議です。
不思議ですし、やっぱり見放されるのが怖いです。怖くてまたつらく当たってしまいます。そんなループです。酷いこと言ってるのも分かってるし、ほぼほぼ全面的に私が悪いのも分かっているのですが……
勿論、無限の幸せなんてないし、幸せでないときがあるから幸せは幸せなんだということも分かっています。
分かっていますが、それでも幸せの終わりが怖いんです。
素直にその瞬間の幸せを感じたいです。
彼と二人で幸せに笑いたいんです。
どうしたいいでしょう……
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
マボロシに騙されないで
そもそも幸せって何でしょうか。
ジブンの気持ち、心を満足させられたらそれが満足なのでしょうか。欲しいものが手に入ることでしょうか。
欲望が満たされること?
幸せとはそういうことではないと思います。
「今」、あなたの体のある「ココ」の様子に目を向け、何一つ欠けることのない事実をいただけてることを幸せというのではないでしょうか。
事実とは体で感じていること。目を使い、耳を使い、鼻を使い、舌を使い、身体をつかい感じているリアルです。
気持ちや考えではありません。好き嫌いや損得、善悪などの価値判断が指し挟まると必ず欲望による感情が沸き起こります。つまり満足できない事になります。
未来を心配することも同じ、過去の記憶を取り扱うことも幸せから離れます。リアルは今しかないのです。この体のある場所を離れたらリアルではなくなる。1時間後を心配したり、1秒前を後悔していては幸せにはなれない。だからこの身体をつかい、五感で感じるのです。
坐禅とはそういうことをしています。今の自分のありようが満たされ切っている事に気づき満足できるのです。
幸せを他に求めてはいけません。今、この瞬間、感じている事にある。考えたり想像している事にはありませんからね。マボロシに騙されないでくださいね。
仕合せ
ネコザウルス様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「幸せ」というものもそうなのですが、この世における一切の全てにおいては、「実体」として成立しているものはありません。
「実体がない」というのは、何も無いということではなくて、それがそれと足らしめているそのもの自体の側で、独立自存として永久永遠に変わらない何かにより成り立っているというわけではないということであり、では何で成り立っているのかとなれば、他に依存して成り立っているに過ぎないものであるということになります。
「幸せ」も同じで、その幸せが、幸せ自体として元々そのものが何か独立自存として変わらない実体としてあるわけではなく、他に依存することによって成り立ち得ているに過ぎないのであります。
ですから、他の状態によって、幸せも変化してしまうのであります。幸せは、色々な因縁(原因と条件)の「仕合せ」であるのであります。
因縁が変われば、幸せも因縁に依りて変わってしまうものなのであります。
ポイントは、
幸せは実体として成り立っているものではないということ。
因縁によって成り立っているものであり、無いわけではないということ。
因縁次第、あるいは自分の物事をとらえる自分の心次第でも、その幸せのありようは変わっていくということ。
自分が幸せと捉えられる因縁が、調えられることができるのであれば、それに努力していけば、幸せの状態は保つことができるということ。但し、調えられることに限界があることも理解しておかないといけません。その限界を意識しながらにできる限り取り組むということ。
もちろん、幸せは自分一人ではどうにもならないものであり、相手など他の人、関係ある人、できるだけ皆の幸せと共に成り立つものであるということも理解して、独り善がり、自己満足の幸せに陥らないように気を付けること。
などであります。幸せの実体に囚われることのないように気を付けたいものとなります。
川口英俊 合掌