無責任な大人
私は以前あるNPO法人に所属していたことがあるのですが、そのトップの人とうまく縁が切れず悩んでいます。
私はもともとそのNPO法人には入るつもりではありませんでした。しかし、半ば強引に入れられて、仕事をするようになりました。私は良くは思っていませんでしたが何か得られるものがあるかもしれないと腹を決め、仕事を頑張りました。
しかし、組織のトップの人や、組織の人間関係がどうしても好きになれず、結果として、自分の仕事量が自分のキャパシティから大幅に増え、それに耐えきれなくなりやめてしまいました。
組織のトップの人は、私たちに常日頃から将来社会人になって報連相が大切だと言っていました。しかし、その人は私が関わっている案件などを、私に相談することもなく、勝手に決めてしまったり大事なことを連絡しなかったりということがよくありました。
その人は、私を信頼していると言っていましたが、信頼している人に何も相談せず決めると言うことは信頼していないということですよね?
私は頼まれると断れない性格で、それにつけ上られたかは分かりませんが、たくさんの仕事を任されるようになりました。また辞めた今も仕事を任されることがあります。その人は、相手の意見を尊重するし、良くしようと思ったことは迷わずやってほしい。責任は取る。と周りに良く言っていました。
私もそれを信じ、良くしようと新しいことに挑戦しました。その過程の中で、その人から自分の思った通りでないことには横槍を入れられることが良くありました。それに耐えながら試行錯誤を繰り返して努力しました。しかし失敗してしまいました。その人は責任を私に取らせました。
また、その人は組織を辞めた人間に対しての悪口がひどく、私の学校の先生との関係が悪くなった時も悪口を言っていて、とても不快でした。
そうなるのが嫌で、先生と話し合ってくださいと言ったにも関わらず議論することを放棄してしまいました。
正直わたしにはその人が子供のまま大きくなってしまった人に思えて仕方がありません。
自分の発言にも責任が取れないような人が大人といえるのか疑問です。
唯一の救いは社会人になる前にこう言う大人がいると知れたことです。
もうその人とは付き合いきれません。もう疲れました。どうしたらこういう人と楽に付き合っていける。もしくは縁を切れるでしょうか?
教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
腹を立てているのはあなたの心
生きものは千差万別。
「大人だから」「人間だから」という期待は、もろく崩れるのです。
あなたは、自分の頭の中で作り上げた理想の相手と、実際の相手のギャップに腹を立てた。
最初から、夢・幻のような期待を抱かず、瞬間瞬間ごとに変化する目の前の相手を見ていれば、腹は立たなかったでしょう。
つまり、あなたは自分自身の煩悩で苦しんでいるのです。
自分を正しいと思いたいプライドの煩悩もその影にはあります。
大人でも子供でも、「悪いとわかっててもやってしまう」「つい失敗してしまう」ことがあります。
失敗した他人を見て、悪人だと思うのをやめましょう。
ただ、生きるのが下手くそな人、報連相が大事と頭ではわかってても忘れてしまう人、だと思いましょう。
怒りを捨てた方がストレスはなくなります。
自分の正しさに執着せず、怒りを捨てましょう。
追記
コメントありがとうございます。
年月の経過は早いですね。
質問者からのお礼
何年も前の御回答に今お礼を書くことをお許しくださいませ。
結局、縁を切ることは成功しました。しかし、難しいもので自分の中の理想をすぐに捨て去ることはできませんでした。
今ではそういう人なんだと割り切ることが少しずつ出来るようにはなってきました。
より寛容な心を持つため精進してまいります。
大変遅くなりましたがありがとうございました。