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幸せになれない

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有り難し有り難し 9

勉強しようとすると抑えられない破壊衝動と怒りが込み上げて、家の中にあるものを片っ端から壊したくなります。これだけ勉強が嫌なくせに、大学は良いところに行きたい、幸せになりたいから尊敬できる人が多い場へ身を置きたいと、夢(もはや妄想)が膨らんでいきます。

勉強ができない自分、他人に必要とされることは無いのに自分は他人を求めて依存しないと心が潰れてしまう自分、自分が好きだった事も嫌になった自分、恋人に依存して見放されそうになった途端自殺をほのめかして困らせてしまう自分、他人のために生きられない自分、どうせ自分には出来ないと全て諦めた自分、自分の内面が全て嫌いで、今生きるのが本当に辛くて苦しくてたまらないです。今の現状、自分の事も自分の周りの事も、全てが嫌です。

今後生涯、幸せに生きている自分が思い描けません。近い将来、ふと思い立って自殺する自分が鮮明に思い描けます。
自分がどうなりたくてどうしたいのかがわかりません。
こんな苦しくて辛い人生を送り続けるなんて耐えられません。だったら死んだ方がマシです。
この辛い気持ちをどうすれば変えることができますか。全てを諦めて希望のない心をどうすれば回復させることができるのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

丁寧に生きる

幸せってなんでしょう。
あなたの言う良い大学に入学すること?もしくは卒業すること?
大好きな彼にそばにいてもらうこと?
毎日学ぶ環境があること?
毎日食事が取れること?
自分の思い通りに物事が運ぶこと?

全てが思い通りに行くことは、とても欲求が満たされ幸せに感じるのかもしれません。しかし、人の欲望は無限です。欲しいものが手に入ると次にまた欲しいものが出て来ます。またそれを手に入れても欲しいものが出てくる。満たされることはありません。一瞬幸せな気分になるだけのことです。

大学に入るのもそう。入って仕舞えば当たり前になり、その中の生活でうまくいかないことが出てくると、不満になる。

こうした生き方は幸せなのでしょうか。

私はもっと近くにあるような気がします。思い通りにならないことも当たり前。目を開けばものが見え、口に物を運べば味がして、物にさわればそのように感じ、音があれば聞こえる、香りがあれば香る、そこに今、ここの事実があります。満たされ切った機能の中で、お腹が空いたり、喉が渇いたり、心臓が動き、呼吸が行われている。こんな完璧な活動は幸せそのものです。

ああなりたい、こうなりたいという願望があってもいい。しかし、それを遠くにおいて目指していたら目の前のことがおろそかになり、遠くの目標と比較して、劣等感を感じてしまう。
そこに到達したければ、それより、イマココのこの体のあるこの瞬間に目を向けて、やるべきことに向かいましょう。未来を生きることはできません。1秒先すら生きられないのですから、イマココを大事にしてみませんか?丁寧に生きてみましょうよ。

お坊さんたちも悟りたいと願いつつも、それを目指すようなことはしません。「今」この体を使い、法に学ぶことで修行しています。悟りという言葉に振り回されることがないように、気をつけています。

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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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