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今の医療に対する、お坊さまの願いは?

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先日、ある外科医が、自分が患者となり、手術を受けた時の恐怖や不安を記した記事を読みました。

私は、自分が勤めている病院で全身麻酔の手術を受けたことがありますが、その外科医のような恐怖や不安は全く湧いてきませんでした。

執刀医を信じていたから、とかではなく、常に、いつ自分が患者側になってもいいよう心掛けていましたし、いつ患者側になるか分からないことを自らに言い聞かせながら働いていましたので、「ついに自分の番が来たか」というぐらいにしか思わなかったのです。

しかし、やはり「手術」や「全身麻酔」に対する恐怖や不安は、現役の外科医ですら感じるぐらいなので、他の患者様たちの中では、相当大きなストレスになっているのではないかと思います。

私は、出来ることなら何でも相談して欲しいと思っています。

どんな些細なことでも構わないので、自分が納得出来るまでとことん質問して、少しでも患者様の心から、恐怖や不安を減らしてもらえればと思うのですが…

やはり、躊躇ったり、言い出せずにいるのではないか?と思うのです。

患者様に親身に寄り添うこと、普段から信頼関係を築いておくこと、気軽に話し掛けられる雰囲気でいること、私自身の実体験をお話しすること、など工夫していますが、そうしたところで、まだまだ恐怖や不安は拭いきれないのではないか?と思うので…

お坊さまがもしご病気になり、手術を受けることになったとしたら、医療従事者側にどのようなことを望みますか?

どのように接していけば、少しでも安心感が得られると思われますか?

普段から精神を鍛えていらっしゃるお坊さまでも、やはり人間です、医療に対する不安感や不信感などはあるのでしょうか?

今の医療に対して、医療従事者に対して、どのような思い、希望を抱いていらっしゃるのでしょうか?

今後の参考にさせていただきたく、質問させていただくことに致しました。

もし、何か具体的な不安等がありましたら、お答え出来る範囲内ですが、お答えしたいとも思っています。

宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

向き合い方も人それぞれ。共に歩むことを大切にしています。

私のいのち 、生きることにおいて、
生老病死 の苦しみは、誰もが避けて通れない苦悩であろうと思います。
頭で理解出来ても、心が追いつかないこともありますし。仏教では、皆 いつか 死ぬんだ、命終えるだと、知らされます。
医療の現場も、そりゃ限界もある。
だからこそ、人と人、向き合わなければ その先に解決も 納得も、無いのでしょうね。
また、いくら身近に経験しても、わが身に降りかかれば、なかなか受け入れられないのも、人間であります。

あなたは、あなたの立場や務めがありますでしょうし。宗教者は、苦悩を抱えながら 共に生きる人であるべきでしょう。そこに、人智を超えた 仏様の 仏教の世界の救いをたよりにね。私たち僧侶は、そうしながら、いのち を見つめています。
私も、臨床の現場にいますから、いろんなことを考え、いのちに 向き合い、耳を傾けています。
向き合い方も、人それぞれですね。
それでいいと思います。
共に歩む ことを、大切にしています。

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有り難し
おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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命について

 御質問有難うございます。私も、人間が娑婆世界において生きている上で生老病死の苦しみに遭うことがございますが、これは絶対に避けられないものであります。今の医療においてですが、自分はiPS細胞に興味がありますが、難しいです。病気になれば素直に受け止める様にさせて頂くのではないかと思います。合掌

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有り難し
おきもち

山寺の住職です。他の仕事と兼務してます。
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質問者からのお礼

中田三恵様、こんにちは。お返事ありがとうございます。今の医療に限界を感じています。助けたくても、助けられない。救いたくても、救いきれない。患者様が、一番困っている時に助けを求めるのが、医療でなく仏教含め宗教のような気がしています。ピンチの時に便りになれないこと、手助け出来ないこと、本当に申し訳なく思います。とにかく、限界を感じて生きています。

ジレンマに陥る…そういう状況であり心境です。無力さを感じてしまいます。

堅田正樹様、おはようございます。お返事ありがとうございます。お坊さまは、やはり病気になっても「受け入れる」のが早いのでしょうかね…私はお坊さまになったことがないので、その精神力具合とかが分かりませんが…大概の患者様がメンタルを保つことに苦労されているように感じます。
iPS細胞の研究は、徐々に治験段階へと進んできていますので、保険適応の治療になるのも、そう先の話ではないと思います。
もし病気になるようなことがありましたら、技術や知名度より、親身になってとことん付き合ってもらえるような先生を見つけるのが一番重要ではないかなと思っています。
勿論、「健康第一」ですが、病気でも長生きできる時代です。病気を自分の個性として受け入れ、前向きに生きていけたら、幸か不幸かなんて関係なく、それなりに楽しく生きていけるような気がしています。
私もたくさんの病気を抱えていますが、何とか生きていますし、これからも「今」を大切に生きていければいいなと思っています!

「お坊さんのことを知りたい」問答一覧

他人がやってる寺を兼務で引き受けたくない

40代独身で、500件ほどの檀家がいる田舎の寺の住職をしております。 近所の住職死亡後、やり手のない寺を数件、兼務しており、合わせると500件ほどになります。 もともと別の自宅住まいでサラリーマンをしてましたが、途中親が病気にかかり、長男で跡取りだった私に、やってくれと親から頼まれて継いだのがきっかけで、仕事を辞めて継いだのですが、もともと私は他人とコミュニケーションを取るのが苦手なので、現在寺の檀家との関りが大変で、葬式が入る都度、寺の仕事が嫌でたまりません。 そのような状態で、精神科に通院しながら、精神安定薬と睡眠薬を処方してもらいながらなんとか寺の仕事をしてます。独身の姉にも協力してもらい、私が檀家の対応全般、姉は裏で火事全般しながらどうしてもの時だけ檀家の対応・・・みたいな感じでやってます。 近所に檀家100件にも満たない兼業住職がおり、結婚してますが子供に恵まれなかったようで、私はその寺のほうるいという立場になってます。 その寺の行事を手伝っているのは私だけで、ほかにもほうるい住職が数名いますが、書類の名前だけで、何かあっても一切かかわりたくないような状態になってます。 その住職が近々危なく、後もいない状態で、その住職の兄弟などの身内はいても、皆仕事をしており、寺なんかやりたくないと皆いっております。 今後その住職はなくなった際は、ほうるいの私がその寺を兼務として引き受けないといけないのでしょうか? 今現在500件ほどの檀家の対応を私と姉で行っており、相当きつく、これ以上ほかの住職がやってる寺の檀家のめんどうまで見れません。 正直な話、もう今なんとかやってる自分の寺の檀家の対応だけでも相当大変なので、これ以上ほかの寺の檀家まで兼務で押し付けられたくなく、関わり合いになりたくありません。 こういった場合、今後その住職がなくなった際、その寺の兼務を断ることは可能でしょうか? 本山に事情を説明し、頼めばだれか代わりの住職を派遣してもらい、後を継いでやってもらうことはできるのでしょうか?

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お坊さんの勤務形態について教えて下さい

離婚問題で悩んでいる時、バツイチのお坊さんと知り合いました。最初彼から遊びの誘いがあり。失礼な人と断りました。今は友人として付き合っています。 友人関係が続いたのは、後日先日の行動が人として大変失礼な対応だった。反省していると、彼から謝罪があったからです。その際にも、ちゃんとしたお付き合いの話はありませんでした。 私は元夫から多種のDVをうけ男性不信になりました。いつか恋愛出来たらいいなと夢見ながら、男性が怖いです。結婚は絶対に無いです。 加えて彼は寺の跡取りで一緒に家庭を築き、寺に入り子供を産める人を探しています。私は子供を産むこともできません。だからあえてハッキリさせないようにしてました。 その後仲良くなるにつれ、プライベートを明かさなかった彼が以前より私にプライベートを見せるようになりました。気付けば毎日メールで連絡をし、月2~3回程度、昼夜時間を割いては健全に遊んでいます。トキメキはないけど気持ちは【凪】です。友達以上恋人未満の1番いい感じの時 自然と今以上仲良くなる予感があり、仲良くなりたそうな行動が見えたり、泊りがけで旅行に行くような話もチラホラ、ただ、お坊さんの勤務形態ってどうなんでしょう? 私は会社員で有給もあります。毎月月末に翌月の予定が未定。次のデートの約束は大抵決まりません。休みがまだ決まらない。分からないって、そんな事ありますか?もうずっとそんな状態で、深く付き合いたくないから、遠回しにそう言ってるのだと思うようになりました。 嫌なら嫌と言って欲しいのに旅行は行きたい、遊ぶのも仕事終わりなら全然大丈夫、凄いケチなのに自分から遊びにも誘って車も出してくれます。 どうゆうこと?と、モヤモヤしてますが、でも誰にも聞けず、彼もはっきり言わないので、やっぱり遊ばれているのでは?と思う反面、彼は嘘をつくのがべらぼうに下手で、私には嘘をついた事がない為、もしかして本当なのかも?と思いたい気持ちからこちらにお聞きしました。 休みが分かりにくいって業界的に本当ですか?何でですか?ちなみに彼は実家の住職をしながら、別のお寺に本業で務めています。本業の休みの日に実家で法事をしたりしています。 この関係がハッピーエンドにはならないと分かっていますが、一緒にいるだけで気持ちが穏やかになれる相手です。嘘ばかりの元夫の毒が抜けていく気がして魂が救われています。

有り難し有り難し 13
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尊重とはどこまでですか?

ハスノハのお坊さまのおかげで「他者を尊重することが大事」なのはよくわかったのですが、尊重とはどこまでするものでしょうか? モラルに欠けた発言なども尊重するべきなのかと考えたりします。そもそもモラルというのも曖昧だと思うのです。人によって違うと思うので。 「平和だからこそ戦争が必要だ」なんて言う人もいると思うのです。これは一般的には理解されないし尊重されないことだと思いますが、「他者を尊重することが大事」ならそれすらも認めることになるのかなと思います。 これが"尊重"なら、もし私が仮にいじめを受けたとしても「これ(いじめ)すらもその人の一部なのだな...」と思うのではないかと思います。 いじめや犯罪や浮気や不倫など、世界の"事"全てです。 社会のルールを基準にするのかな?とも思いましたが、それは"社会の思い込み"の可能性もあると思いますし、何よりそれは「他者を尊重できている」のでしょうか? 社会のルールという名の"正義"で個人個人を存外に扱っているのでは?と思います。 倫理も一緒です。全て人によって違うと思うのです。 例. Aさん「別に人をいじめてもいいでしょ?」← これも"Aさんの考え"で「Aさんの一部」なのかなと捉えてしまいます。この場合、Aさんは他者を尊重できていないと思います。ですが、それを注意すればAさんの価値観や考えを否定している(尊重できていない)ことになるのかなと思います。 そうなると無関心に見えると思いますし、この文章の通り「〜と思います」や「〜なのかな」などボヤっとしてハッキリしなくなると思います。 その結果、他人が「〜でしょ」や「〜です」と言うことに神経質になると思います。なぜなら、それがその人の思い込みの可能性があるからです。 でも、その人の思い込み = その人の意見なのでモヤモヤしても無理して尊重する。 尊重とはどこまでですか? 行き過ぎれば無関心に見えてきます。"相手とは違う自分の意見"を言えば否定されていると思われ、注意すれば「他者の意見を尊重できていない」ことになり、じゃあ何も言わないとなれば、無関心と見える。 お坊さまは尊重する際、何を"基準"に持ってらっしゃいますか? 乱文で申し訳ございません。

有り難し有り難し 4
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ