親切にすると怒鳴られた
暑い日が続きます。
用があってスーパーをはしごしてたのですが入り口で電動車イスに乗ったお爺さんがバックで移動してたのか、そこに止めていた自転車を倒して立往生してました。
見て見ぬふりも出来ず間が悪かったとしかいえないのですが、周りが助けない中
立往生しているお爺さんを助けようと倒れた自転車を起こして通れるようにしようとしたら
「そこに自転車を置くな!!!!!」
と、お爺さんに怒鳴られました。
「私のじゃない!」
と返すと以降だんまりしてしまい
謝るとか感謝とか何一つうんともすんとも言わなくなりました
「移動させますね」「こんなところに置くなんて頭おかしいですよね」「もう通れると思いますよ!」など言っても無視されました。
人に親切にすると嫌な目に遭うなら
もうしない方が良いのではと思う反面
見て見ぬふりが出来ません
宥めて欲しいというか、良いことを言って欲しいです。
怒鳴られたくて助けようとしたわけじゃないし
ただ目の前で起きたことを処理しようとしたら
嫌な思いを受けて昇華しきれません。
そしてそこでの買い物は必要なものがなくて無駄足でした…
そのお爺さんを助けて怒鳴られたぐらいしか用がなくて、その人に導かれたのか運が悪かったのか、行かなければよかったとトホホ状態です…
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
こんばんは。
ひどい目に遭いましたね。
そのおじいさんも、普段から邪険にされ親切に慣れていなかったのかもしれませんね。きっとお礼ができなかった事を反省していると思います。
ちょっとアドバイス。
例えば、目が不自由な方のお手伝いをしようと、突然手を掴むとびっくりされてしまいます。そりゃそうだ。あなただって真っ暗世界で急に手をつかまれたら不安になりますよね。手を出す前に、「何かお手伝いできますか」などと声をかけてあげれば、相手の方も安心します。
同じように、今回も、自転車を触る前に、「大丈夫ですか?何かお手伝いできますか」などと声をかけてあげれば相手の方も安心したと思います。
親切な行動はとても尊い事です。ありがとうございました。今回の出来事で萎縮することなく、どしどしやりましょう。
本当の親切な行為には、「親切な」という冠はつかない。
こんばんは。亀山純史と申します。
そのお爺さんに会っただけでも、そのスーパーに行った甲斐があったと思いますよ。ある行為が親切な行為かどうかは、それぞれの人の判断によるでしょう。昔流行ったフレーズに、「小さな親切、大きなお世話」というものがありました。ちょっとした親切心からした行為が、された相手にしてみれば、ちょっとした親切心どころか、大きなお節介、ということです。
本当の親切な行為をしたければ、その行為に「親切な」という冠をつけないことです。つまり、その行為を行う人は、「自分が行った行為は、親切な行為だ。」と思ってはいけないのです。「自分が行った行為は、親切な行為だ。」と思っている間は、その行為にとらわれ、その結果、今回のような嫌な気持ちになってしまうのです。
今回出会ったお爺さんは、以上のことをあなたに教えてくれた人なんです。そのように考えて、今回の出来事をとらえてみてはどうでしょうか。
気にせず善い行いを
拝読させて頂きました。
あなたはその方の為にも周りの方々の為にも素晴らしい行いをなさったのです。
目先のことばかりにとらわれている方々にはわからないかもしれませんけれども、あなたのなさった行動は必ず誰かが見ています。神仏やあなたのご先祖様方が必ず見守っていて下さいますからね。
そのように言われたのは残念でしょうけれども、決して気にすることはありませんからね。
どうぞあなたのなさった行動について自信持って下さいね。
あなたがこれからも人のためになることを進んで行い、充実した毎日を過ごしていかれますようにと心より神仏やあなたのご先祖様方にお祈りさせて頂きます。
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。
>一声かければよかった
そうですね、それは直ぐに思いましたがどうも私はコミュ障なので、言葉より行動を先にしがちです。「どうしましたか?困ってますか?」その一言が出ませんし、怒鳴るような人だったので「見てわからんのか!」と言われるのがオチかな~
勘違いしたとしても謝れない相手に問題があると思いますし、それで私が悪者にされるくらいなら、もうこういうお節介は見て見ぬふりして素通りします。関わらなければよかったと思ってます。
>親切~の言葉付けについて
えぇ…ボランティアしてる人たちにボランティアと思ってやってる以上はボランティアではないと言ってるようなもので、それは賛同できませんねー
昇華したいと言ってるのになんでそんなこと言われないといけないのか
じゃあこの行為はなんと言えばよかったのか
感謝の言葉がなくても別にいいけど、怒鳴られるようなことをしたつもりはないし
怒鳴られたからこそ善い行いだと思ってやったのにと思うようになる心理くらい理解して欲しいです。
もうこのお爺さんによって「人を助けない」のが正解なんだと教わりました。
お坊さんのいってることも踏まえて
人を助けないことがいいことなんですね
もう同じようなことがあっても、親切がどーのこーの言われるくらいなら無視しますね
>一向寺さんへ
あなたの言葉がなかったら救いようがありませんでした。
人を助けようなんてもう二度と思わないと心を閉ざすところでした。
ああ、良かった!捨てる神あらば拾う神ありですね!
神様や仏様、今のシーズンだとご先祖様、見てると思います。
トホホの人の目線に立って助言をされるお姿は美しいです。
今は常識とか一般とかそういう考えで押し付けるような言葉より、気持ちを大切にしてほしかったです。
一声かけるとか親切と思うなとか言われると
「ああ、じゃあ私は人を助けることをしない方が世のため人のため自分のためなんだな」と思います。一声かけれる人や親切と思わないで出来る人がやればいいやってなります
でも、そんな人間にも一向寺さんのように言われると、また同じようなことがあったら進んでやろうかなと思うことができます
昇華ありがとうございました
鳳林寺様もありがとうございました