頼られではなく、利用されているような感じです
どうか、助けて下さい。よろしくお願いします。同居している弟のお嫁さんの事で苦しんでいます。私はこの5年の間に、大切に育ててきた愛犬2人を見送りました。看病と介護で約5年間、外に出る事も無く最後まで愛犬と共に頑張りました。そして、愛犬が旅立ち、少しずつ自分の時間を作ることが出来始めると、弟のお嫁さんが毎日かかりつけ医の所に注射に行くために私に子供を気に掛けてほしいと頼んで来ます。土日休み以外のほぼ毎日です。子供は小5で男の子で、私にとれば甥っ子です。自分の事も出来るし言う事も怒れば聞くので、幼児を見るのとは違い手がかかる事はありませんが、私からすれば、ただ見てるだけでも責任があるのでいい加減疲れます。甥っ子はとてもかわいいのですが、現在、夏休み中なので、弟のお嫁さんは朝9時から仕事で、3時には終わるのですが、それから病院で帰ってくるのは5時くらいです。それまで、私はただ見てるだけでも拘束されている様な気持ちになり、自由を感じません。私の主人は、私が家にいる環境が相手に甘えさせてしまうと言い、私も理解はするのですが、私もいつも出掛ける用事がある訳ではなく、今の私の環境を変えるのは難しいです。二週間に1回、整体に行くのですが、その事を伝えると、「それじゃあ、その日は薬を貰って帰ってくる」と言います。私からすれば、子供がいるのだから、毎日そのように人に迷惑をかけない様に考えるのが当然だと思うのですが、相手からすれば、私が家にいるのだから、私が出掛けないなら見ていてって感じです。甥っ子に、学童保育という放課後に預かってくれるシステムがあるのですが、そこに入りなさいって言うと、泣きながらイヤと言うので、かわいそうな面もあります。弟のお嫁さんは、自分に甘い人なので、私は苦しんでいます。事情により引越しが出来ません。どうか、どの様に心の持ち方をすれば良いのか、そして、どうしても弟のお嫁さんは、どの様な人格なのか知りたいです。ものすごく複雑な生活です。他にも相談に乗って頂きたいです。文章が下手で伝わりにくいかもしれませんがよろしくおねがいします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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落ち着いて、冷静に、現実的に
ご相談拝読しました。落ち着いて冷静に現実的な対処をしていきましょう。
まず、
>弟のお嫁さんは、どの様な人格なのか知りたいです
この件については見ず知らずの私たちがあなたよりもあなたの弟さんのお嫁さんの人格について知り得ることはありません。
そして、あなたのお抱えの問題は「心の持ち方」でどうにかなる問題ではないと私は思います。「心の持ち方」で解決しようとするのは現実は何も変わらないけれど、捉え方でごまかすようなものです。絶対にまたしんどくなります。変えるべきは捉え方ではなく現実ではないでしょうか。
さて、現実の生活を変えるには同居人全員による家族会議がベストだと思います。会議で決めたことをそれぞれが必ず実践する。共同生活にはルールが必要です。
もしも会議ができない、あるいは会議での決定事項が順守されないというのならもう同居の解消しかなくなります。つまりあなたち夫婦か、弟さん夫婦かどちらかが出ていくということです。
しかしながら複雑な事情がおありのようなのでおそらくはそれは難しいということなのでしょう?
そうならば話し合って現実の生活を改善するより他はありません。あなた一人が「心の持ち方」を工夫して我慢すればよいという問題ではないはずです。
かなり以前にも弟さんのお嫁さんの件でご相談いただいていますが、状況は改善していなかったということでしょうか?おそらくあなたとお嫁さんの直接対話だけではなく、ご家族みんなで認識を共有し、ルール作りと実践を行う他はないと思います。
あなたとお嫁さんの関係が改善したのなら、今まで苦だと思っていたものが苦でも何でもないものであったというように、捉え方が変わることもあるかもしれませんが、おそらく今のままでは関係の改善も難しいのでしょう?
それならば生活の改善をするしかありません。それはあなた一人ではなく皆で取り組むことです。
質問者からのお礼
ありがとうございます。確かに私ひとりで解決出来る問題ではないです。以前の悩みも解決出来ておりません。その件については、弟を通して話してもらいましたが、無理です。結局、私達が出て行くのが解決方法だとは分かっているのですが、事情があります。ならば我慢しかないのかも知れません。私は自分の考えを変える事は出来ても、相手を変える事は出来ません。相手は、自分の事しか考えられない人なので。例えば、カビや、ヘドロも気にならないと言われました。なので、私は自分の考えを変えるしか平常心を保つことが出来ないと思いましたが、なかなか難しいです。主人はいつも私の味方ですので、それだけでも幸せです。
この場所で学ばされているのかも知れません。
ありがとうこざいました。