人の反応が気になります
私は、結婚を機に仕事を辞め、その後すぐに大学院に入学し、半年ほど経ちます。
私の分野では、20代で大学院に通う人は少なく、卒業しても資格が得られるわけではありません。
最近はなぜ通っているのかわからなくなってきています。
そもそも入学を決めた理由は、周りと少し違うことをしたいという衝動的なものであったと自覚があります。
でも実際は金銭的な負担や、新婚で家族の問題も多く、働いておけばよかったと思うことばかりです。
その上で、でもやるしかないんだ、と気持ちを奮い立たせています。
前置きが長くなりましたが、ここからがタイトルの内容です。
私は、基本的に何に対しても自信がなく、誰かが同意してくれなければ、自分の意見を通すことができません。
特に実感するのは、自分の意見を求められ、発言しようとすると涙が出てしまうときです。泣きたくないのに!と思って堪えていても、泣きそうなことを誰かに指摘されたりすると、もう涙がとまらなくなります。これは自分の意見を言うときだけで、誰かの意見に質問をしたりするときはありません。
また、電話口では特に相手の反応が気になってしまい、おどおどと話し、早口で言葉遣いも幼稚になってしまいます。今は学生の身分で、現場で働く責任者の方にご連絡をすることが多いのですが、私に対する言葉遣いの端々から相手が怒っているのでは?と想像し、沈黙には耐えられません。勝手に嫌悪感を持たれているのでは?と想像して焦り、余計に怒りを買うような話し方をしてしまっている、と思います。
そういうことがあった後は落ち込み、もう誰とも話したくない、何もしたくない、死にたいと繰り返し考えてしまいます。
加えて、勇気を出して発言したあと、その発言が反論されたり、否定されたりすると、怒りが湧き起こってくるのを感じます。かと言って、そのあと意見を擦り合わせるようなことは上手く出来ず、自分個人の問題であれば、さらに反論することはあまりありません。周囲の人が関わる問題で、どうしても自分の意見の方がいいと思っているときは、主張を続けますが、相手がしぶしぶといった様子や、悔しそうな様子をすると、自分なんていなければよかったのに、と思います。
支離滅裂で申し訳ありません。
この学校生活を乗り切り、新たな社会人生活の土台とできるよう、何か勇気のでるお言葉をいただけませんでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人と接する機会を。自信に繋げましょう。
たくさんの人と接することかなと思います。
人の反応って、確かに気になりますよね。ただ、たくさんの人と接する機会があると、相手が何を考え、どう感じているのか、察知すること(空気を読む)が出来るようになったり。また、相手の表情や 声のトーンで、どんな印象を持っているのか、感じとれることがありますよ。
状況によって、焦ったり、緊張したり、そりゃ誰だってあると思いますが。人との関わりの中で、だんだん自分に対して、またコミュニケーションに自信が持てるようになるんじゃないかしら。
結婚生活も、学生生活も、より多くの人との関わりを、積極的に行ってみませんか。
あなたに、自信がつけば、感情のコントロールもしやすいですよ(^^)大丈夫。勇気を出して◎
質問者からのお礼
ご回答をありがとうございます
確かに、今まで人との交流はなるべく避けてきました。
自分の自信がないために交流を避けてきたと思っていましたが、逆から考えて、積極的に交流をする事で自信をつけていければと思います。
ありがとうございました。