人と接することに向いていないのかもしれません
援助職について、もうすぐ4年たちますが、人と接することは自分に向いていないのではないかと思っています。
私は仕事が立て込んだり、気圧性の頭痛があったりで、色々余裕がなくなると、人に対してあたりが強くなってしまいます。
しかも、デイケアという、1日患者さんと過ごす仕事なので、仲良くなる分、遠慮がなくなってしまい、職員としては良くない言い方をしてしまい、注意を受けることが2度ありました。
先日は、書面にて注意を受け、おそらく、もう一度同じようなことで注意された場合、何らかの処分があるものと思います。
患者さんに嫌な思いをさせていたり、他の職員に迷惑をかけていたりするんだろうと思うと、「ああ辞めたいな」と思ってしまいます。すぐに逃げたくなるのです。
自分が必要とされていないと感じると、その環境から出ていきたくなります。
これ以上迷惑をかけたくないのです。
こうやって、余裕のなさを相手に出してしまうところも、援助職として向いていないのではないかと。
むしろ、人と接する仕事に向いていないのではないかと。
しかも、自分の気持ちを決めつけられることにはすごく抵抗感があり、今回も「イライラしているときには患者さんと接するのは他の職員に任せていて」と言われた際、(イライラしていないのにわかってもらえていない)と感じ、素直に反省もできないでいます。
褒められたとしても、素直に受け取れません。
自分が認めてもらいたい部分でないところを褒められると、逆に決めつけられたような感じや、分かってもらえていない感じがして。
期待通りに動かされたような感じもして。
自分が素直になれていないだけだとは思います。
でも、どうしても抵抗してしまいます。
どういう風に気持ちを持っていったらいいかわかりません。
何かヒントをいただければと思います。よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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適材適所
質問読ませていただきました。
やっちゃいけないとわかっているのに、ふとしたときにやってしまう。
後悔の念に駆られて、辛い思いをされていると思います。
しかし、「悪いことをしてしまった・・・」と反省できること、それだけでも海松さんは素晴らしいのではないでしょうか。
人は、自分の意図せぬ場面で色んな人に影響を与えているものです。
たしかに、良くない言い方をして人を傷つけてしまうこともあるかもしれません。
しかし、デイケアで仲良くなったお年寄りの中で、海松さんと接することで幸せな気持ちになった人がいるかもしれません。
ひょっとしたら、海松さんから生きる元気をもらって、頑張って生きようと思った人もいるかもしれません。
必要とされていないなんて、思う必要はないんですよ!
ただし、人間はどうしても得手不得手があります。
海松さんが色々考えて、「自分はどうしても援助職に向いてない」との結論を出したのであれば、他の職種を試してみて下さい。
まだまだお若いので、色々な経験を積むうちに自分にぴったりなものが見つかるかもしれません!
また、褒められるというのは、褒められるという行為そのものがありがたいのではないでしょうか。
物事には絶対的に素晴らしいモノなんてありません。ある人にとっては素晴らしくても、別の人にとっては最悪なことかもしれません。
つまり、ある人が海松さんを褒めるということは、「その人の価値観に照らし合わせたときに、その人は素晴らしく感じた」ということに過ぎません。
そのような相対的なモノに、海松さんが過剰に反応する必要はないのです。
ですので、その褒められた内容がどうこうより、自分を褒めようとしてくれた、もしくは自分を認めようとしてくれた相手の気持ちを、「ありがとう」と受け取っておけばそれで十分でしょう。
あまり深く考えすぎないで下さいね。
質問者からのお礼
誠海様
アドバイスありがとうございます。
自分がどれほどのことをしてこれたのかは、実感がわきませんが、必要とされていないと思わなくてよいとの言葉に少し軽くなったような気がします。
多分、誰かにそういわれたかったのだと思います。
また、相手の気持ちを受け取ること、わかっていながらも、まだ何かつっかえたような感覚があります。もう少し、気楽にとらえられるようになりたいですね。
ありがとうございました。