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菩薩について-お薦めの資料などあれば是非!-

回答数回答 1
有り難し有り難し 7

今回で6回目の質問になります。
私の事情や性格などは、プロフィールや以前の質問、頂いた回答へのお礼文などから推測してください。
お手数をお掛けして、申し訳ありません。
皆さまのご協力で、少しずつですが、現在の自分の不安や心配の解明に努めて来ることが出来ました。
本当にありがとうございます<(_ _*)>

今までの皆さまからの御回答を参考にさせて頂き、ようやく、やっと。
父や家族に、弟の結婚式・継職表明への自分の参加の難しさを伝えることが出来、欠席の意志もきちんと定めることが出来ました。
深く御礼申し上げます(。-人-。)

これで当座の 寺族関連 での問題は回避出来ることでしょう。
父からは詫びの手紙までもらってしまって(謝罪や反省の言葉が欲しかったのではないのです。その点では、まだまだ相互理解が必要だと思います)今はむしろ、父のメンタルも心配です。

が、今の私では、それらを上手く伝えることは難しいでしょうし、特にメンタル面などは、結局は自分でなんとかしていくしかありません。
私の実生活への自主リハビリでも“切り替え”は重要課題の一つです。

今回は、視点を変えて、質問致します。

[質問]
現在、私の中では、菩薩修行の知識に非常に興味があります。
そこで、現住職として長きに渡り全国で布教師として活動をしていた父にも、質問などをしてみて、自分の見識を深めたいと思っています。

こちらで学ばせて頂いたことの中には
“回答者にも質問者にも、相応の基本知識と共有出来る言葉が必要だ”
というものもありました。

ですので、父には及べませんが。
質問する以上、必要となるであろう。
修業中の菩薩のこと,また菩薩五十二位・六波羅蜜・十波羅蜜・方便波羅蜜などについての入門書,専門性はあるけれども分かりやすい指導書(私は学ぶ側なのでなんと言えば良いのか…)などの、書籍を御紹介頂けると幸いです。

書籍にこだわるのは、私の今の状態と父母などもインターネットには不慣れなのとの理由です。
宜しくお願い致します。

文字数が少しあるので余談を…(ここまで回復してきました!)
私は、質問の冒頭にもきちんと記載して…
プロフィールなどでの私の現状の確認をお願いしてきたつもりですが…
果たして何人の方が【高次脳機能障害】という病気を、認識・確認、してくださったのでしょうか…


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

(追記)

菩薩行の本ですか。
いろいろなお経にも書いてますが、例えばあなたの宗派はどこでしょうか?
その宗派の教義に沿ったのもから学ばれるのがいいかと思いますよ。

追記
そうですね、例えば質問の題名を「浄土真宗における菩薩および六波羅蜜とは?」とすれば適した回答が得られ易いと思いますよ。
私は浄土宗ですがあえてお答えするなら、この娑婆世界では菩薩になれないから阿弥陀仏のお力で極楽浄土に往生させてもらってから菩薩となり六波羅蜜の菩薩行を完成させて仏様に成る、という解釈になります。
しかし日蓮聖人の言われるように、この娑婆世界での1日の修行は極楽浄土での100年の修行よりも効果がある、という事もなるほどと思います。
ですから、私個人としては、今居るこの娑婆世界では、極楽浄土に往生する為のお念仏をお唱えすることを基本としながら、かつ、できる範囲で菩薩行の修行をする、という方向がいいのかなと思っています。
ところで、親鸞聖人はこのように言われています。「阿弥陀仏の救いを知ると自然に悪いことはしなくなるのです」と。菩薩行といえば六波羅蜜であり、その中には持戒波羅蜜があります。持戒とは悪いことをしないことです。このような私であっても救ってくれる阿弥陀仏の心を知れば、自然に持戒の心が芽生え、持戒波羅蜜の実践に繋がり、さらには六波羅蜜の実践にも繋がっていくのです。子供が親の愛情を知れば自然に悪いことをしなくなるのに似ていますね。
お父さん達と仏教の話をする事は良いことではありますが、何より大切なのは一緒にお念仏をお唱えすることだと思いますよ。

追記
全ての人を救うまで仏にならない菩薩様といえば、最初に頭に浮かんだのは観音菩薩様ですね。
仏に成る事ができるのに、あえて成らずにこの娑婆世界の人々に手を差し伸べに来るのですね。
確か浄土真宗的には阿弥陀仏も同じだっかな?
阿弥陀仏は同時に法蔵菩薩でもあり「無量寿経」にあるように全ての貧しい人、苦しい人を救うまで仏にならない、とありますね。
(浄土宗的には、全ての貧しい人、苦しい人を救えないようであれば仏にならない、と解釈しますが)

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

回答僧 圓常寺 / 三宅 聖章
いつも回答、本当にありがとうございます!
宗派によって、また違うのですか!?
不勉強で存じ上げませんでした。
ありがとうございました。
一応、真宗十派の中の一つではあるのですが…
どういうものがあり、また、どういう方にお尋ねすれば良いのでしょうか…?

改めて、宗派を提示して質問し直すべきでしょうか?

昔から、他宗派や他宗教の方とも面識や交流があり、以前には、バチカンへ法皇さまへの拝謁に随行させて頂いたこともありました。

宗派による読経の節の違いは認識しておりましたが、本山の手伝いの時には、地域によっても異なることがあるのだと、驚いたことがあります。
↑思い出しましたw

今現在の自分の状態や状況を、“修業中の菩薩の過程”と思うことで、自身やご縁への感謝や学びの理解としておきたい、我儘で自分勝手な理由からの発想でしたが…

そもそもが不純不敬でしたね…

自分なりの学習(&切り替え)の為…
コツコツと調べて学んでいきたいと思います。

また、御助言、宜しくお願い致します。

回答僧 圓常寺 / 三宅 聖章
何度もありがとうございます<(_ _*)>

宗派の違いによる教義や専門分野の違いも、意識はしていたつもりでしたが、そこまで深くは考えて居なかった自分に気づけました。
↑ちょうど、日蓮系に造詣の深い方を思い出せたので、早速、連絡してみることが出来ました。
ありがとうございます!

やはり、生まれ育った環境というものは、自分でも意識していないうちに、身に沁みこんでいるものですね…
私の根底にも、【悪人正機】という概念(私なりの解釈ですが)が、在りました。

「悪いことをしない」についてですが…
こちらに関しては、持戒波羅蜜についての勉強がまだなので、きちんとした答えが見つかりません。
が、今までもずっと、寺という育ちや環境により、多くの方からの善意や厚意に支えられ、また、それらからの受難も多くありました。
無意識 無理解 故の 善意 厚意 好意 の方が、悪意より尚、厄介で難しいものだと認識しております。
そして、それ以前に、御坊のおっしゃる“悪いこと”の定義が、私にはよくワカリマセン。
申し訳ありません。

親鸞聖人のお話をしてくださったことで、思い出せたのですが、確か、
『称名念仏は、行では無く。感謝の気持ちの表し方(伝え方)』
のような概念もありませんでしたでしょうか?

私が元々、「無神論者」などと嘯いていたのも。
私は、シッダールタより、ダイバダッタに親近感を覚える人間だったからかもしれません。
天才より秀才
強者より弱者
陽より陰
どうにも、〝弱さ〟への共感が強過ぎてしまったのかもしれませんね。

本当に、いつも、回答ならびにお付き合い頂きまして、ありがとうございます。
やはり、こういったお話の出来る場所は少ないですし。
今の私には、本当に本当に、気持ちを切り替える為の場所が必要なのだと。
痛感致しました。

御助言により、再度、質問投稿させて頂きますが、まだちょっと、今は、自分の容量が既に限界なので…

頑張ります。
ありがとうございました。

追伸
今の自分の現状が既に、目一杯で。
“修行の場”と認識しようとすることでしか、もう、自分を保てなくなっているのかもしれません。
そして、出逢い含めて、全ての事象を 菩薩のご縁 と思うことで。
自分を励ましたい。
支えたい。
なんとかしなくてはいけない。
…と。
感謝の気持ちを、忘れたくは無いのです。

徒然

そうでした。
私は

“全ての人を救うために 仏 になる”
道を選んだ 如来 より
“全ての人を救うまで 仏 にならない”
とした、考え方が、好きでした。

私の記憶や認識、合ってますかね?

出典は何でしたでしょうか…

こちらへの投稿は、
自分の足元を確かめて思い出したいが為の、
ただの 足掻き なのかもしれないです。

お付き合い頂いて、本当に。
申し訳ないです。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ