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妻子がいながらの未練の断ち切り方

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私は妻子持ちです。詳しくはプロフィールをご覧下さい。

私の悩みは元カノが忘れられないということです。元カノが目に付いてしまう状況のなかでも元カノへの気持ちを完全に断ち切り、妻を一筋に愛せるようになるにはどうしたらいいでしょうか?

約10年前にいわゆるSNSで元カノと知り合って付き合っておりました。遠距離でスタートし、遠距離で結果としては振られてしまいました。会った回数も片手くらいです。理由としては相手に好きな人が出来た為です。当時、なかなか想いを断ち切れませんでしたがしばらくして妻と出会い結婚しました。

つい最近ですが、元カノと連絡がつく状況になりまして、話してみると、私と別れた1年後に結婚して子供もおりました。もう私とは全く無関係ですし、元カノも何も悪くもないのになぜか悔しく、ショックを受けた気持ちになりました。

妻と出会い結婚してからは完全に忘れていたのに時々、脳裏に元カノがチラつくようになりました。
そもそも元カノのどこに惚れたのかも素早く出てこないし、嫁との方が相性は全然良いのにずっとチラつくようになりました。

過去の思い出を勝手に頭の中で美化されてそれで執着してるだけのような気もします。
今の嫁以外にこんなに好きになれたのは元カノだけというのもあるのかもしれません。

もうお互い結婚して家庭を持ってるので断ち切るという選択肢しかありませんし、元カノは私のことをなんとも
思ってないと思います。
長々と申し訳ありません。お知恵を宜しくお願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

所有欲は刺激が強いです

ご相談拝読しました。お気持ちは分かります。未練がましいのはあなたが悪いとかそういうことなのではありません。そういうものなのです。

あなたは自分自身でよく分かっていらっしゃいます

>過去の思い出を勝手に頭の中で美化されてそれで執着してるだけのような気もします。 今の嫁以外にこんなに好きになれたのは元カノだけというのもあるのかもしれません。もうお互い結婚して家庭を持ってるので断ち切るという選択肢しかありませんし、元カノは私のことをなんとも 思ってないと思います。

たとえ未練タラタラのままでもこの通りに行動していくのです。もう連絡はとらないということですね。
自分一人でその未練に耐えがたく連絡してしまいそうなら自分だけではなく他者からも戒めてもらうよう協力を取り付けましょう。
奥様との信頼関係にもよりますが、一番いいのは正直に「SNSで元カノと再会しちゃってさ~、なんか話し聞いたら結婚してて微妙な気持ちになったわ!笑 でもこれから大事にしていくのは〇〇(奥様の名前)だから安心してね」などと告白してしまうことではないでしょうか。
自分の中に隠そうとしたら膨れ上がってしまうこともあるかもしれません。

なぜなら人間には所有欲があるのです。執着です。一度手に入ったけど失ったものが再び、あるいは欲しかったけど手に入らなかったものが手に入りそうになる(と勘違いする)とたまらなく欲しくなるものです。そこにはおっしゃるように過去の美化も加わっている事でしょう。

しかし仏教的に見るならば「所有」などは私たちに成り立たないのです。元カノさんも、奥様も、あなた自身も、あなたのものではないのです。あなたの意志を超えた思い通りにならないものです。

「所有(わたしのもの)」「所有できる(わたしのものになる)」という執着は強いです。その対象が異性ともなればその刺激は物凄く強大でしょう。

だから未練があるご自身を不必要に責める必要はありません。しかしあなたにとって何が本当に大事かをよく考え、取るべき行動を取ってください。
都合よく未練だけを断ち切れるなどとは思わないでください。未練もまたあなたの所有ではない思い通りにならないものです。未練を抱えたまま行動あるのみ。連絡を、そして必要ならば連絡先や連絡手段から断ちましょう。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

回答ありがとうございます。
所有欲とは全く気が付かないでおりました。
言われてみれば確かに私にはそういう欲の強い一面があったとおもいます。
未練のまま行動するとはなかなか難しいですが、そういった強さも必要ですよね
無意識にどこかで私のものという意識があったのかもしれません。
お話を頂いて気付くことが多くありました
このままやるべきことをやっていくしかないのだと改めて思いました。ありがとうございます。

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