永眠した母親への想いが強くて悲しみが深い
来月末に母親の一周忌を迎えますが、既に
質問させていただいた通り、他界した高齢の母親への想いが強くて悲しみが常に押し寄せてきて辛い気持ちになります。
お墓の事も質問させていただき、色々無知だった点で母親の希望のままにはいかないのももどかしいですが、残った家族、父親、独身の姉、独身の自分、子孫が無いので3人で悲しみの中母親と同じ場所に納骨されたい想いで今まだ、家のミニ仏壇(日蓮宗)に母親の遺骨供えたままですが日々話しかけて供養しています。
母親亡くなってまだ10ヶ月、、毎日写真を携えて車通勤の中でも一緒に話しかけて何とか日々を過ごしています。
苦労してきた母親の側で常に一緒に過ごしてきた日々、買い物やドライブも母親は片足不自由な中、車に乗せて一緒に連れて行って毎日当たり前に時間を共有してきました。
いずれは誰もが寿命迎える事なんてわかってたのに、どこかで変わらない1日1日の流れの生活でずっと一緒にいれることが当たり前の様に思ってきました。
そんな母親が去年、、まさかの他界なんて、、
目の前真っ暗になったし、母親がずっと人生の糧でした。
自分は43才ですが、84才だった母親は常に高齢で生まれた自分を大切に、とても大切に苦労の中育ててくれました。
小さいころから母親の苦労を見てきたので記憶も鮮明に覚えてて、去年までずっと母親第一の生活を過ごしてきた事は自分が結婚とか好きな人生の歩み方とか以前に、最優先で充実した日々で今日までこれたと思っています。
しかし、その分反動もとてつもなく大きく、周りの同世代は結婚して子供いて家庭持ってる人が多い中、ずっと家族4人、蜜に生活してきたので悲しさ、空虚感、失望感、絶望感、とか辛い感情も大き過ぎて今の日々も波の様に押し寄せて号泣したり、逢いたい想い、仕事や日々の生活からの脱力感とか、押し寄せて辛いです。
母親の服や物、母親がいた台所、部屋、そんな中でいるので夢であってほしいとか感情コントロールしづらい波があり続けます。
この先もずっとおそらくこのまま3人で残りの人生過ぎてゆくのでこの先の最終的な孤独感も想像してしまう時があり、こんなに普通に糧が無くなった生きる事の辛さが続くなら自然に楽に自分も仏になって母親の側にいたいと思ってしまいます、、逢いたいです、、母親に、、、
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お母様にとってみれば。
お墓のことでもお話させて頂きました。
間もなく一周忌を迎えられるのですね。一層お母様への恋慕の思いが強くなってこられたのでしょうか。でも、それは仕方ないことで無理に抑える必要はないと思います、自然のままに受け止めてください。
日蓮宗とのことですから、日蓮大聖人のお言葉から引用します。
「先、臨終の事を習うて 後に他事を習うべし」
まずはりんじゅうのことをなろうて のちにたじをなろうべし
とのことです。私たちは生まれた以上、いつかは死を迎えるので、そのことをしっかりと心して(学んで)それから、日常生活等を育みなさいという大意です。
頭では分かっているつもりですが、実際その場に直面すると、素直に受け入れられません。それも仕方ないことです。
しかし、もうそろそろご自身の人生を歩んでくださいとお母様も思っておられるでしょう。
お母様はお母様の人生を全うされたのですから、何も後悔はないはずです。ただ心残りは、たかさんがいつまでも悲しんでいることでしょう。
生老病死は避けられません。そのことを解決しそうとしても無理なのです。ゆえにこうして多くのお坊さんたちも、様々な表現で苦しみを軽減されるようお話をされています。
ぜひ、これからはお経を読んでください。お経やお題目をお唱えすることで、今言われているような空虚感、失望感、絶望感、とか辛い感情も軽減していきます。
又、一番ご供養にもなりますので、お勧めします。