「私は人より優れている」という考え方
ある種の人間関係で悩んだ時、「私は相手よりも優れている。相手はかわいそうな人なのだ」と考えると楽になると、よく耳にします。
確かに楽にはなるかもしれません。
しかし、それと同時に傲慢さが芽生えませんか。
躊躇はありませんか。
思い上がるな!と自分に言ってやりたくはありませんか。
相手を貶め、自分の価値を上げた気になるのは、本当に正しいことだと思いますか。
自らを愚かにする危険な考え方だとは思いませんか。
教えてください。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
拝読させて頂きました。
私は仏様のように成仏している、何の迷いもなく苦しみもなく悩むこともない、と芯から思えるでしょうか?
優れている劣っているとは仏様の目から見るといかがでしょうか?
お釈迦様は私達が迷い苦しむ姿を見て仏教を説いてくださいました。
私達は誰しもが未熟で儚い愚かなものではないでしょうか。
そう気がつくことが人としての原点かと思います。
あなたのおっしゃる通りかと思います。
再度拝読させて頂きました。
そうです。どんぐりの背比べのようなものですね私達は。
己れの心の迷いや欲にいつも惑わされてありのままの姿を見ることができないそのような存在です。
ですから余計に傲慢になってしまったり己れの弱さに恐れおののくこともたびたびあるのでしょう。
ありのままの自分を冷静に見つめることが現実にはなかなかできない、愚かな存在それが私達です。
ですから人をおとしめはずかしめて、自分がましだと優れていると言うような考えはいつもおちいってしまう意識ですけれど単なる思い上がりでしかないでしょうね。
今までの人の歴史的な経緯もしっかりと見つめながら或いは今現実世界で起こっている様々な現象も見直していき、改めて我が身を見つめ直すことが大切かと思います。
そこからどのように生きていくことが大切なことなのかを我が身のこととして常日頃から考えて真摯な姿勢で生きることが必要ですね。
私達は凡夫ですからね。
自分は他人よりも劣っていると考えた方が争いにならない
ネットでこんな話を読み、なるほどなと思いました。
あるところに、内輪喧嘩の絶えないA家と平和そのもののB家とが隣接していた。
喧嘩の絶えないA家の主人は、隣はどうして仲良くやっていけるのか不思議でたまらず、ある日、B家の主人に訪ねた。
「ご承知の通り、私の家は喧嘩が絶えず困っております。お宅は皆さん仲良くやっておられますが、何か秘訣でもあるのでしょうか。一家が平和に暮らす方法があったら、どうか教えていただきたい。」
「それはそれは、別にこれと言った秘訣などございません。ただお宅様は善人様ばかりの集まりだからでしょう。私の家は悪人ばかりがそろっていますので、喧嘩にならないのです。ただそれだけのことです。」
てっきり皮肉られているのだとA家の主人が激怒しそうになったとき、B家の奥で大きな音がした。どうもお皿かお茶碗でも割ったようである。
「お母さん申し訳ありませんでした。私が足下を確かめずにおりましたので、大事なお茶碗を壊してしまいました。私が悪うございました。お許しください。」
「いやいや、お前が悪かったのではありません。先ほどから片付けようと思いながら横着して、そんなところに置いた私が悪かったのです。すまんことをしました。」
と続いて姑さんの声が聞こえた。
「なるほど、この家の人たちは、皆悪人ばかりだ。喧嘩にならぬ理由がわかった。」
A家の主人は感心して帰ったという。
こんな話です。自分が正しい、自分が優れているという考え方は争いを招きます。
質問者からのお礼
どうも、ありがとうございます。
該当の発言をされた方々にどういう腹積もりなのか回答いただきたかったんですが…残念です。
もし見ていらしたら、以下の言葉を送ります。
「私はあなたの人間性を心から疑います。
どちらが優れているか、劣っているかなんて、所詮どんぐりの背比べなんですよ」