自我の抑え方
こんにちは。私はもともと頑張り屋の上に成功欲が強く、常に目標に向かってコツコツ努力する人生を送ってきました。そのせいか、人に対してすぐにアドバイスしたがる所があります。つい自分と人を比べて自分が上に立っていることを無意識に確認している気もします。成功体験により自我が肥大化し、そのせいでプライドだけが高くなり生きづらくなると思いました。自我をなくすことは難しいですがせめて肥大化させず、上手くコントロールさせるおすすめの方法があれば教えてほしいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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お供え物に学ぶとよいでしょう
お寺のお供え物のお花やお菓子、よき香りというものは誰もが救われるものを象徴として供えるのです。
良い香り、癒し、救われるもの、仏の道理にかなった法食。そういう姿勢なのです。お菓子は子供からご年配の方まで食べられるものです。お刺身やステーキなどは供えませんよね?それも「万人に通ずる」という丁寧な姿勢があるのです。
寒い人には温かさを、のどの乾く人には潤いを、歯の弱い方にはやわかなるものを。お釈迦様の対機説法のように相手にとって救いになることをやってさしあげることですよ。
あなたが相手に対して自分がやっていることが愛される配慮であるかをみつめて、これは自分もこんな風に言われたらいやだろうなぁと思って感じ悪くしてしまったことは相手にちゃんとあやまる。そして、今後は改める。それだけでいいのですよ。
お釈迦様もすべての人に敬いの気持ちをもって敬礼されたという故事があります。立ち位置が上から目線ではないのです。
禅では「勝他の念」といって、勝ちにいこうとする心理はいやらしいものとされます。恐れが根底にあるから人は上から目線になったり、マウントをとろうとしたり、偉そうな態度になったりするのです。
スラム街の多い国で威張っている危険なオーラを持った人も実は自分を守ることに必死なの姿なのです。ガラが悪い、態度が悪いということは、この安全な日本という国にあっても同じ。人は自分が育った環境・心理的背景によって保身や防衛心理から「そういう上から目線な」セルフ安全策態度になってしまうのでしょう。ある人はいつも上から目線な威張りマウント態度で人に接します。深層心理に恐怖心や不安な心理があるのでしょう。我が強い=自分の先立つ何かを優先している姿ともいえます。立派なお坊さんは先輩僧侶でも私めごときに対しても丁寧語を用いられ皆を尊重されるのです。
それは、ちゃんと仏の道理に基づいてすべての人に守るべきものがあり、愛される人がいて、大切なものがあるということをちゃんとわきまえているから、誰が相手であっても作り事ではなしに丁寧な態度になるのだと思います。
よって、我をなくすには無理な謙遜をするのではなく「ああ、この人にも愛すべき家族があり、脅かされたくない心理的聖域があり、私と同じように安全に安心して暮らしていたいのか」という共通項目を見出して共鳴した上で中から発せられる言動を大事にすることです。
質問者からのお礼
ご回答くださりどうもありがとうございます。心より感謝いたします。毎日お言葉にあることを実践しようと思います。仏さまのお供え物で私が一番好きなのはお花です。自分自身もまわりの人にとってお花のような存在でいられるようになりたいです。
思い切ってこちらに相談してみて良かったです。本当にありがとうございました。