人を見下す癖を直したい
人を見下す癖を直したいです。
その人の勉強、仕事の出来不出来などで見下すことはないのですが、主に想像力の無い人を見下してしまいます。
といのは、私は常日頃から、他人の害となるようなことはしたくないなぁと思っているのですが、想像力の無い人は自覚もなく、他人にとてもひどいことをする場合があります。
そういう時に「こんなにひどいことをしているのに、この人はそれに気づくこともできないのか、これは悪ではないのか。」「この人は地頭が悪すぎる。」
といったことを思ってしまいます。
しかしこんなことを思う自分が本当に嫌です。
想像力の無い人を見下さずにすむ考え方があれば、知りたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自分の物差しであり偏った判断。気づいていない人への働きかけを
気づきもしないで人を傷つけている場面に出くわすと、見ていても辛いですし、(この人は何てことを。酷すぎる)と一緒に悔しい思いになったり、この人が嫌で嫌で堪らなくなるときもありますよね。
未熟であったり、無知であったり、本当に愚かだと強い感情が生まれますが、「見下す」となると、自分の方が上だと思って相手を軽く見てしまいますよね。そこには、人を上下、優劣をつけて判断している「私」がいるわけです。それも、自分の物差しであり、偏った判断ですよね。視覚や感情で、人を区別しているわけです。
「想像力がない」というこの一瞬の出来事に対して、心乱されたとしても、それと、人を区別することとは、また別の行為であるということは、しっかりおさえておきたいですよね。
私もあなたと同じような感情が生まれるであろうと思います。気づいているからこそ、心を痛めるわけです。その感情は自然なことですし、大切にしましょう。そして、見下すよりも、自分がちゃんと気づけたことを喜び、気づけていない人に何か働きかけていけたらいいですよね。そのほうが、私を取り巻く環境は、心地良いものになっていくはずですものね。
そう考えていかれたらどうかしら。
相手の気持ちが分からない、ということね。
こんにちは。「こんなに酷いことをしているのに、無自覚」とのことですが、そこには二重の問題がありますね。つまり「①酷いことをしてしまう」と「②その相手の気持ちに気づかない」です。
確かにそれでは、「他人とよい縁を紡いでいく」ことは難しいでしょうね。
そして、私の周りにも、そう感じる人はいます。…もしかしたら自分もそうかも知れませんけれど(何せ無自覚なんですから)。
ということで、「見下げずに済む」のご問題だとすれば、「自分だってやっちまっているかも、無自覚だけに」を時々思い出すことです。何せ自分としては「やってない」つもりでも、無自覚であれば気づかない訳ですから。
なので、私が心掛けているいることをいくつか。
「これは傷つくだろうなぁ」と思いながらも、言わねばと思ったら言う。
「そのつもりはないのに」という時は、言った後で相手の表情を見て補足する。
「第三者への、そういう現場を見た」のであれば、「あれはシンドイと思うよ。どうにかなってくれればいいけどね」とか、「あんな風に言われちゃ、本人やる気にもならんだろうな」とか言ったりします。
ポイントは、「その現場を見たのに、何もしないでいる」自分が一番嫌なのでしょうね、あなたは。見下しているだけでなく、何らかの行動をすることで、その気持ちは変化していくでしょう。
質問者からのお礼
お言葉、大変参考になりました。
そうですね…人間に上も下もありませんし、偏った考えですね。
相手が気づくよう、働きかけるのは確かに良いかもしれません。
本当にありがとうございました。
佐藤良文様宛
お言葉、ありがとうございます。
確かに、自分だって同じようなことをやってる可能性…というかやっていると思いますね。
はい、何もできないのは悲しくなりますね…少しづつ心が変わるよう、やってみます。ありがとうございました。