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自信がなくて迷惑をかける

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有り難し有り難し 15

こんにちは。以前の投稿より続きを書かせて頂きます。お手数ですが以前の文を見て頂けると幸いです。

その後、連絡を何度かとり話しているうちに、やはりいい人だなと感じました。そして人生初めて告白しました。「私はあなたの事が好きだけど、自分に自信がなくて貴方に申し訳なく思う。だから付き合うかどうかの決心がつかない」と。そうしたら「うちの家(九州)に来て、話したい」と言われました。
散々悩み、「こんなにめんどくさい自分が嫌い。いっそのこと貴方の前から消えたい。不安で仕方ない」など言い続けてしまい、彼を困らせてしまいました…。彼は優しくて、ずっと話を聞いていてくれていたのに。
本当に、自分に自信がなく、不安で、普通の女の子のように素直に付き合う事がなぜ出来ないのだろうと悲しくて辛いです。頭の中がぐちゃぐちゃです。
結局彼に申し訳なく、渋々のように行くことになりました。行くのは10月下旬ですが消えて無くなりたいです。

私はどうしたら気持ちに整理を付けられるのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

富士登頂

思い出してみてください。以前のご質問で富士山に登ったことを報告してくれましたね。

その時は登る前に自信があったでしょうか?不安はなかったでしょうか?

おそらく自信があったわけでもないし、不安もあったことと思います。

でも登らずにはおれなかったのでしょう?このままではいけないとの思いがあなたを突き動かしたのでしょう?
そして登ってる時はやはりしんどかったでしょうけど、周りの人と話したり、自分と向き合ったりして登り切ったのでしょう?

自信がなくてもいいのです。迷惑をかけてもいいのです。

あなたが彼が好きで行かずにおれないのならそのまま飛び込んでみてください。考えて生じる不安と戦うよりも、実際に飛び込んで生じた問題と戦う方があなたをきっと充実させることでしょう。

10月下旬に張り切って行ってらっしゃい!

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

自信を決めるのはあなたの中

自信のなさはどこから来るのかといえば、すべてご自分の中で沸き起こっている働きなのです。不安もそうです。あなた自身の働きです。自信を持てる持てないを決める物差しもあなた自身が握りしめているものなのです。きっとその物差しはとてもハードルの高い物差しで、自分が成長してもそれを認めずに知らず知らずに上がってしまう物差しであると思います。

この価値判断、評価はあなた自身が作り上げた作り事であることをまず知らなければなしません。「こうでなければならない」「こうあるべき」「ここまで達成していないといけない」「こんな人はサイテー」「こんな人は素敵」これらは、すべて人間の作り事であることに気づかなければなりません。

人は生まれたばかりの小さいころは、良し悪し、損得、好き嫌いの感情がありません。これは、ありのままを受け入れありのままを見る目があったからです。今でもその目はあります。しかし、物事に触れたときにすぐにジャッジしてしまう癖があるのです。誰かが通りすがりにぶつかっただけでも。事実は「ぶつかった」→「痛い」だけなのに、「ぶつかった」→「痛い」⇒「このやろーク〇ジジイ!」「仕返ししてやる」みたいなことになるのです。⇒のあとは、思いのつけたしにすぎず、事実とは異なります。妄想にすぎないのです。

ジブンと思っている我(ガ・エゴ)の働きにより起きた考え方や思いというものは、すべて作り事妄想です。
あなたが今自身がないといっていることはすべて事実ではないことでそうなっています。
事実には良し悪しがありません。

事実とは、「今」しかない。
事実とは、あなたの体のある場所「ここ」しかない。

それ以外は想像か、不確かな記憶でしかない。過去の事実としてあったことですら、もう、」「今」はないのです。ですから、今あなたの気になっている彼は昔の彼ではないことも知っていないといけないのです。そして、事実に参じることを実際にやってみて自信につながるのだと思います。私は禅僧ですので、坐禅をお勧めいたします。六根(眼耳鼻舌身意)を用いて事実に参じる。自然と肩の力が抜け楽に生きられる道が開いてくるはずです。
作法だけでなく、そうした部分を指導してくれるお寺さんが近くにあるかわかりませんが、興味がありましたら私のところのお寺のFacebookページやホームページなどをのぞいてみてください。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

やはり自分は駄目だとおもい諦めました。ありがとうございました。

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