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ものの捉え方

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有り難し有り難し 8

おはようございます
朝からお疲れ様です。

私は幼い頃両親からごくごく軽度の性的暴行や虐待を受けていました。
今でも私の人格や感情、存在を否定することは日常茶飯事であり高い理想を求められています。
そしてプロフィールのこともあり、心が疲弊してきてしまいました。
ただ、両親以外の人間には恵まれていたようで、友人や恩師にすがりつつ日々を暮らしています。自決せずに済んだのは、彼らのおかげだと心から感謝しています。

色々考えを巡らすうち、
価値観は多様であり正義が悪であることもしばしば。
「正しい・間違い」「意味・価値」「感情」などは全て人間の「主観」であり人間が死にたえれば消えるもの。
そして人間とは宇宙から見れば星と星がスリ合えば消える存在で、その宇宙もただ存在するのみ。
ともすれば「主観」や生き物の命はもとから有ってないような微々たるもので、等しく意味は無くただそこに在るだけ、と思うようになりました。
本当のことは分かりませんが、死後は私の意識だけが残り、この美しい宇宙を自由に味わえればいいな、と期待しては待ちわびています。
種の存続や繁栄、記憶の継承が今多くの人間の目的なのでしょうが、興味がないので、心地よく生き、満足する状況で死を迎える準備をするために何が必要か考えればよい。社会には馴染むくらいでいい。

だから私は両親の期待全てに応えなくてもよいし、両親の対応に思いなやまなくてもいい。いつかは私が働きかけなくても消えてしまうものだから。
こちらに不都合がある、または効率よく物事を進めるときに必要であれば従順に振る舞うだけでいい。
と思うようになりました。
心が軽くなり、いっそう世界が美しく感じられました。

しかし、軽くはなりましたが、駄々をこねる幼稚で高圧的な両親へのやるせない気持ち、周りの人に親の代わりをさせてしまうことへの申し訳なさ、両親へ風俗のように媚を売らなければ外にも行けない状況は依然として残り、晴れやかとまではいきません。
感情を受け入れ昇華するのには時間がかかるものだから今はそんなもんなのでしょうか?
この考え方で良いのでしょうか?

よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

間接的なハタラキ

おはようございます。

ご両親に振り回されて、大変な状況。お察しします。
残念ながら、ご両親が大江さまと同じ年齢のときにはネットもスマホもなかったと思うので、
親よりも子の方が器が大きくなることが少なからずあります。

「この考え方でよいのでしょうか」という質問ですが、

晴れやかになりたいけど、まだしっくりきてない。
ご自身の目標はあり、友人や恩師の存在も有り難い。
だけど、環境的、経済的に両親との関係が切れず、心が曇る。

このような形で認識したうえでお返事させていただきます。
(ズレていたらごめんなさい)

質問文の深い考察、何回も読ませていただきました。
今、一番近道になりそうなのは、マイナスをプラスに転化させるはたらき。
感情を向ける先がうまく循環すると状況が改善されるのかなと思います。

私などが見落としてしまいそうなものでも、大江さまは美しさを見出すことができ、それを形にされてらっしゃるのではないかと思います。
嫌な思いを受けた相手に、直接正論や正義で返そうとしても、正義は武器になり醜くなる。

世のすべての事象を、自分を主語にして片づけると空虚なものになりますが、目を向けるべき対象に尊さを見出すと美しき世界が拡がる場合があります。

死後のことも、私を主語に立てる考え方もありますが、
そうではなく、私以外の残されたものを主語に立てる考え方。

私がどうなるかではなく、遺された人にとって私という存在はどんな風に映るのであろうか。

「申し訳なさ」という言葉は自分を主語に立てて使う言葉。
恩師や友人を主語に立てるならば、「ありがとう」でいいと思います。

それと、人の言葉や態度に振り回され傷つくときもあるけれど、そればかりが世界を構成しているわけではないです。
生物学上のヒトそのものに依らなくても、人が残したものに美しさを感じることもあります。

正義の定義や言葉の意味は時代とともに変わるけれど、
建築、美術、音楽などの作品は時代を超えても変わらないたたずまいを見せてくれています。

とりとめのない文章で申し訳ありません。
何か、参考になる部分があれば幸いです。

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有り難し
おきもち

自分のことはあまり好きじゃない。 でも、だから、せめて自分だけは 自分...
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質問者からのお礼

こんばんは お勤めご苦労様です
回答誠にありがとうございます
泰庵様がお考えの通りの心境です。
優しいお言葉が深く心にしみました

自分の内側ばかりに目を向けるのではなく、自分の外側に目を向ける、ということでしょうか。
私は「視野が狭い、ものの見方が一辺倒だ」とよく講師に絵画の指導を受けます。回答を読ませていただいて、ああ、またやってしまったな、と反省しております。

父と何度も対話をし、世間の理想とする親のようにもう少し優しくしてはくれまいかと説得を試みるも、最後には「複雑人間に育ててやってるんだから感謝しろ。そういう苦労をした人間が社会の役に立つんだ」など言われて脱力するばかりでした。
しかしたしかに父の言う通り、自分を、世界を見つめ直すきっかけとなったのは両親のおかげです。
両親に優しくして欲しいと期待する自分が居るのを感じてはいますが、それはそれとして、感謝と尊敬の心を持って接しようと思います。

恩師や友人に対しても独りよがりな考えであったんですね。
支えてくれている友人を食事に誘っています。(もちろんおごりです!)そこで今までの感謝の気持ちを伝えようと思っています。
恩師にも、事が落ち着き次第、感謝とご恩を返したいと思っています。

美しさなんて、ただの「主観」なんだから、いつかは消えてしまうから、刹那的なものなんじゃないかと虚しさを感じていました。
しかし、泰庵様がおっしゃる通り、人間にとって美とは普遍的な一面があるように思えます。
そうすると、私の頑張り次第で、私が死んだ後の人とも感動を共にできるんですね。
感動の輪が次々と広がっていくというのは、大変喜ばしいことですね
感動を共感できる、心震わせる作品を作る人になれればと思います

私はまだ至らず、尊さというのがよく分かりません。
尊いという感覚を自分のものにできたときに、画家として大きく飛躍できるのではと思いました
精進いたします

もしかしたら私の投稿でご気分を害される方がいるのではないか、と不安でした。
もし害してしまっていたら、大変申し訳ありません。

長くなってしまいました
改めてお礼申し上げます
回答を読ませていただきながら、思わず目頭が熱くなりました。
いつか私の作品が泰庵様に届くように、頑張ります。

「今を生きる・自分の生き方」問答一覧

『今』を生きる事に集中したい

幼い頃から負の情報にとても影響を受けやすいです。 家族間や学校、職場での出来事はもちろん、特にメディアでの情報やニュースにはとても敏感です。 東日本大地震で被災してからは更に過敏になったように思います。 戦争や災害、陰謀論、気候変動、ワクチン、政治問題など。 こればかりは自分の影響力の範囲外の事ですし、先のことは誰にも分からないので悩んでもしかたない事だと理解はしているのですが怖くて苦しくて潰れそうになります。 そういった情報が目に入らないように使用機器の設定をしたり、テレビをつけずに過ごしたりと対策はしているのですが、たまたま目に入ってしまった時に呼吸が苦しくなってしまうのです。 恥ずかしい話ですが、北朝鮮のミサイル発射の速報を見て小学校や中学校だけでなく仕事を休んでしまったり、公共交通機関に乗れなくなったこともありました。 共感疲労というのでしょうか。 いつか家族が、愛する息子が、自分が、と次々に想像してしまい止められません。 そして実際に家族を失ったような喪失感に襲われます。 夢に出てくることもあり、正直それが一番辛いです。 残虐な殺され方を目の当たりにして現実で起きたような衝撃と感情で目が覚め、気持ちがリセット出来なくなります。 毎日何かに怯え、家事育児中もずっと頭の中が不安しかないのです。 常々『死』を連想してしまいます。 立て続けに身内を3人、急性の癌で亡くしているのでそれも関係しているのかもしれませんが。 こんな世の中に息子を産んでしまった事を後悔してしまいます。 この世は生きるに値しない気がします。 でも生きていくしかありません。 どうしたら今を生きられるようになるでしょうか。 まとまりの無い文章で申し訳ありません。 ご返答いただけると幸いです。

有り難し有り難し 10
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専業主婦に憧れます

こんにちは。 以前新婚時に相談したものです。 新婚時は夫どの関係に自信が持てず悩んでいましたが、昨年第一子を出産してからは全く気にならなくなり、それどころか家族との日々を過ごせることをとても幸せに感じています。 今回ご相談したいことは、私の仕事のことです。 私は公務員で役所勤務しています。育休や子育て支援制度も充実しており、今は週3日勤務で子供を保育園に預けながら働いています。 平日休みの日は子供は保育園に行くので、私の時間ももらえ、とても恵まれているのはわかっているのですが、子供が熱を出したときなど急な休みをもらわないといけないときなど、仕事をやめてしまいたくなります。 急に仕事に穴を開ける罪悪感、子育てがあるため仕事に全力を注ぐことができない罪悪感、仕事のことを気にしながら子どもと向き合っているもどかしさ… 私は両立が苦手のようです。 どちらにも100%の力を注げないもどかしさもありますが、何より子供を育て、家族のことを一番に考えながら平和な家で家事育児をして過ごす日々が幸せすぎます。 なので、いっそ仕事をやめてしまって家事育児に専念し、余った時間で今流行りの在宅でできるお小遣い稼ぎでもしたらいいんじゃないかとか思ってしまいます。 でも、やっぱり今の仕事は本当に恵まれているのも承知しており、そこまで高給取りではありませんが、長い目で見れば金銭的にも大きな差が出てきて、将来の子供の学費などの資金にも影響が出てくると思います。夫はやめるのは私の保障がなくなる意味でもったいないといいますし、私の親は辞めたとしても、専業主婦になっても辛いこと嫌なことはあるから変わらないといいます。 今の私はどのように気持ちの整理をつければいいでしょうか。

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敢えてバランスを崩す

人生において、何事もバランスを取ることが大切だと良く聞きます。しかし何事も二面性(バランスを取ることによる弊害)がある中で、なぜその重要性が真理のような言い方をされるのでしょうか。 例えば、食生活のバランスを意図的に崩してみること(ときに、野菜のみ/肉のみ/炭水化物のみ、暴食/絶食、新鮮な食材/悪くなりかけの食材、普段食べない料理にチャレンジ等)は、自身の体の変化への対応力を身につけるためには有用である(むしろ健康を増進する)との考え方もあるでしょう。 また、常にバランスの取れた食事よりも、その時々で食べ物の美味しさ、有り難みに気づけるのもメリットでしょう。 意図的にバランスを崩すことは、仕事や学業や趣味、恋愛など様々なことにも有用と考えております。 何事もバランスが重要との言葉、信じて良いのでしょうか。(上記の例でいくと、長い目で見ると食生活のバランスが取れているとの見方も可能だと思いますが) 仏教ではどのような考え方をされるでしょうか。バランスは時間の経過とともに自然と取られるとの見方や、そもそもバランスを取るなど幻想、私の問い自体がナンセンスとの考え方もあるかと思います。是非お知恵を拝借させてください。

有り難し有り難し 6
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今を生きる=悩む暇がないこと?

以前より、死の恐怖についてご相談させていただいております。いつもありがとうございます。 今年から仕事をはじめ、毎日必死に慣れない仕事をこなしています。以前と違って少なくなった休日は、友人との交友や趣味を詰め込んでいます。 そのような生活をしばらく続けていましたら、以前悩んでいた「死の恐怖」について悩む物理的な時間が殆どなくなっている事に気が付きました。 しかし、死の恐怖がなくなった訳ではなく、今でも偶に恐怖で叫び出してしまう事はありますし、将来のこと(今後のキャリアやライフプラン)について考える時にも、「死ぬ時、恐怖に震えながら死ぬのだろう」ととても悲しく、またとても恐ろしくなります。 これは、「今を生きている」のでしょうか?確かに、目の前のことに必死で、死について考える時間がないので精神は健全です。以前より充実していると思います。 ですが、人生の本質のようなものを蔑ろにしている気もします。今の生活はなんとなく、さまざまな問題から逃げている現実逃避のように感じます。人生は死からの逃避、という言葉をどこかでみました。私の人生は今、逃避なのでしょうか。 そこで、「今を生きること」と「現実逃避」の違い、「今を生きること」と「何かに夢中になり、悩む余裕がない」ことの違いが知りたいです。 また私の今の様な生活は、仏教やお坊さんのお考えからはどのように思われますか? 死に怯えるだけだった過去から、今の生活になったことは進歩でしょうか?これは、私の望む「死は悪くない、怖くないと安心して死ぬこと」に近付いていますでしょうか? お忙しいところ恐れ入りますが、知恵をお貸しいただけますと幸いです。よろしくお願い致します。

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社会不適合者の生き方

今自身の存在意義について悩んでいます。 背景を記載致します。私はASDという発達障害を患っていることを社会人になって初めてしました。これは先天的なものであり、不治です。 学生時代から社会不適合や問題児として扱われてました。しかし、それも一つの味だといじられキャラとして何とか楽しく過ごせて来ました。また、人なりになれない部分ばかりですが、一部は無茶して何とかして来ました。 しかし、社会人になるとそうはいきません。普通の人が出来ることにやはり数倍苦労します。ミスばかりで他人に迷惑をかけます。無茶をすると逆に会社として困る存在になります。 学生時代からぼんやり思っており、発達障害とわかってはっきりしましたが、このような発達障害で何の取り柄もなく、人の数倍労力をかけないと人並みにすらなれない人間に何の意味があるのだろうと自己嫌悪に堕ちる日々です。 この先は生きていても誰の役にも立てず迷惑ばかりかける存在になると思っています。だからこそ、命を粗末にすることは悪いことと思いつつ、早死にしたいという気持ちがあります。苦しむために生まれて来たとさえ思います。 その反面、健常者と同じように生きたいという欲深い気持ちもあります。 難しい質問ではありますが、どんな心持ちで生きれば、この苦しい罰のような人生を乗り越えられるでしょうか?どうやって自身の存在を受け入れればいいでしょうか? 長年の悩みです。アドバイスをいただければ幸いです。

有り難し有り難し 11
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自分の生き方

私は昔からわがままで性格が悪く自己中で欲の強い人間でした。 幼稚園の時女の子の友達に対していじめをしていたり、親の気を引くためにわざと親に対して嫌な事をしたり、歩くのに疲れたらお腹が痛いなど言い訳をして親におんぶをしてもらっていました。 小学生の時は、親の気を引くためにいじめられていると嘘をついたり、兄や母の部屋に入って物を取ったりしていました。 小1の時、友達と遊んでいたのですがその時に友達が子犬も連れていて私がその子犬を抱っこしてフェンスに登って遊んでいたのですが、あまり覚えていませんがその子犬を下に落としてしまってその子犬が亡くなってしまいました。もしかしたら自分が登っていて危なくなったので犬を下に落としたのかもしれません。 中学生になり人間関係がうまくいかずいじめを受けたりして、強迫神経症になりクラスに行けなくなり高校生の時学校を転校しました。また、幻聴も酷くなり、薬も効きません。 転校したのも正直自分が楽をしたかったからです。 転校した先の学校は通信制でお金がかかり親に迷惑をかけました。 親は片親で父親が亡くなり1人で育ててくれましたが、親の気持ちなど微塵も考えず自分が楽したいからと逃げていました。 社会人になって仕事が続かず、また職場で悪口のターゲットになりやすく、転々としていました。20代前半で6回も転職しています。どの職場でも悪口のターゲットになります。また、幻聴が聞こえてくるので何が何だか分からなくなり、被害妄想が強くなり周りが悪口を言っているからと言ってもしかしたら言っていないかもしれないのに周りのせいにしていました。 このままでは良くないと国家資格も勉強して取りましたが、せっかく就職しても悪口を言われるから、働いている時間が長く感じるからという理由で辞めてしまいました。働くのが嫌だという理由で結婚相手を探し始め、60万も借金があるのにそれを結局彼氏に支払ってもらい結婚もしましたが、旦那に対して別の人が良かったかも、もっと自分の人生を生きれば良かったなど最低な考えを持ってしまいます。どこまでクズなんだろうと思いますが、自覚がなかったようで最近自分が最低な人間だという事に気づきました。現在、妊娠しています。わがままな子供が妊娠しているような感じです。自分の行動を戒め今まで迷惑をかけてきた人達に対して償うにはどう生きればいいでしょうか?

有り難し有り難し 19
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ