友人を見下す心を無くすにはどうすればいいですか
初めて質問させていただきます。よろしくお願いします。
私には10年以上の付き合いの友人がいます。
私が高校を不登校になった時、同じく不登校だった彼女と知り合い、共に転校して毎日仲良く通学していました。
とても大好きで尊敬していて、一緒にいることが誇りでした。
しかし進路を決める頃になって、初めて彼女と意見が別れました。
私はその頃に親が離婚したのもあり、家計の助けになりたくて就職を希望し就活しておりました。
彼女は、何故働かなければならないのかと言い、かといって進学も希望せずに日々を過ごしていました。
今思えば、当時の彼女はまだ不登校になった原因の傷が癒えて無かったのかもしれません。
しかし当時の私はそんな彼女に対しやる気が無いのかと思い、苛立ちを感じていました。
その苛立ちは、学校を卒業してそれぞれの生活に別れても募り続けました。私が就職し、仕事や人間関係の辛さに揉まれている間も、彼女の方は就職も進学もせず家にいたからです。
気がついたら、その苛立ちは彼女を見下す心に変わっていました。
見下す心を満たすために彼女に会うようになっていました。
恥ずかしいことに、その心に気付いたのはここ最近になってからです。気付いた時とても自分を恥じました。そして彼女とこれからどうありたいか考えた結果、離れることよりも、見下すことをやめて純粋に友人でありたいと思いました。
私は彼女の優しさや感性や、趣味が合うところが好きなのです。
その気持ちだけで付き合いたいのに、今はまだ見下す心が多く残っています。今も社会復帰できない彼女を情けないと思ってしまいます。世間知らずなところを心の中で馬鹿にしてしまいます。そして何より酷いと思うのは、今の私は、彼女の幸せや成功を素直に祝福できないと思います。
友人を見下す醜い心は、どのようにして克服すれば良いでしょうか?
それとも、彼女のためにもこんな私は距離を置いた方が良いのでしょうか?
長くてまとまりのない文章を読んでくださってありがとうございました。
アドバイスいただけると助かります。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
気兼ねのないひとときを。
稲穂さんも、時にはつらいこともあったと思いますが
それでもそのご友人のことを忘れたことはなかったのですね。
ご友人はなんと素晴らしい方と巡り会えたことでしょう。
『何より酷いと思うのは、今の私は、彼女の幸せや成功を素直に祝福できない』
本当にそのご友人のことが大好きなのですね。
ただ、
もし逆にご友人が稲穂さんの幸せや成功を祝福してくれるとしたら
うれしいですか?
稲穂さんは
社会に出られてつらいこともあったとおっしゃいましたね。
様々なことを乗り越えてきていらしたのでしょう。
ご友人や、気の置ける仲間からの、祝福を望みますか?
ご友人も、稲穂さんの祝福を望んでいるでしょうか。
『何故働かなければならないの』と悩むご友人にとって
それが必要なことかどうかは分かりません。実は見えないところで苦しんでいるのかもしれませんから。
私でしたら
どこか「つらい」と思ってしまう、その心に寄り添ってほしいと思います。
仏教では『供養(くよう)』という言葉があります。
お仏壇にお水やお花を供える。お膳を供える。
『どうぞ。』と。
でもほんとにお膳を食べるわけないじゃんって思いますよね。大事なのは
私たちのその「『どうぞ』と言う行い」によって、相手の心と自分の心を「認めている」ことです。食べてもらえるかどうかは問題ではありません。寄り添おうとする、その心なのです。
相手のことを認めるとは、自分のことを認めることと同じだと。仏さまはおっしゃっています。
何も仏壇やお位牌に向かうばかりが供養ではありません。
ですから
互いが互いを認め合える、というのは
相手と自分の心の苦しみがともに寄り添っているありようを言うのだと思います。
稲穂さんにはその心が既にあるでしょう?
ならば
見下してしまうとか、どっちが立派とか、どうでもいいではないですか。
少なくともご友人と一緒にいるときぐらいは。
それよりどこかご飯でも食べに行って、
「これ一口どうぞ。」「いい。べつに要らん。」
なんの気兼ねもなく、言い合ったり笑ったりできる時間が大事なのではないでしょうか。
供養も、そのようにさりげないものです。
人間的価値の余計なはからいもない。ささやかな日常に宿る気兼ねのないひとときが
私たちを支えてくれます。
どうかそんなふうにしてご自身の心に寄り添っていただきたいなと思います。
質問者からのお礼
ご回答いただきありがとうございました。
読みながら、まるで心がほぐれていくように感じました。
今ある彼女のその心に寄り添おうと、私はできていなかったかもしれません。
相手のことを認めるとは、自分のことを認めることと同じ…という言葉にはっとさせられました。
彼女と一緒にいられるかけがえのない時間を、もっと大事にしようと思います。
とても助かりました。
ありがとうございました。