何のために生きてきたのか見失いました
1日1日を生きるのが
とてもつらいと近頃思い始めました。
仕事での気配りや、職場の仲間との気配り
その他の業界内での気配り諸々。。。
自分の為に生きるのは当たり前ですが
「何のために」生きてるのか
よくわからなくなってしまいました。
継続は力なり、と皆さんよく言います。
しかしその継続が自分の首を
絞めているのかな、と思ったりもします。
ここ最近、眠る時に考えてしまいます。
父や母には申し訳ないのですが、もうこのまま眼が覚めなくてもいいと。
彼女にこんな相談をしてしまっては、彼女の気苦労を作ってしまう原因になるしで。
自由や自分の為に頑張る!という欲求も昔の自分に比べると薄れてきてしまいました。
何か新しい事をしようとするのにも後先の事を考えるようになり、結局は断念してしまったり。
休むとは言えど、金は必要ですし
辞めるとは言えど、時間も必要。。。
もうどうしたらいいのか
よくわからなくなってしまっています。
皆様の知恵をほんの少し
分けていただけませんでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
難問は分割せよ
拝読させていただきました。
タイトルの「難問は分割せよ」は、フランスの哲学者デカルトの言葉でありますが、多くのことを抱えているだけであり、一気に背負う気持ちが苦しめているのです。
これは憂鬱でも無ければ、ストレスでもないのです。単にいっぱいいっぱいになっているだけなのです。
100キロの荷物を毎日背負っていては、誰しも辛く重たいですよね。
継続は力なりは確かに正解です。諦めかなかった人が、勝つのですから。
しかし、勝ちたいとも負けたくないとも人生で捉えていると思います。
これだけ、多くの悩みに向き合って、何が自身を苦しめているのかを分析されているので、ここからは一つずつ解決方法を見つけていくだけです。
不得意なことを得意にしていく。勉強と同じで、苦手分野を克服していくのは嫌なことです。しかし、乗り越えれるようになっています。
平等はあります。それは「時間」です。同じ苦しい辛いと思いながら、時間を過ごすのではなく、解決方法をご自身の宿題もしくは問題、クイズと捉えてやってやると心に火をつけてみてください。
信じる者は救われるともいいますが、「信」じる+「者」=と合わせると「儲」かる。という漢字になります。
この壁を乗り越えることで、見えなかった壁の向こうが見えたときの感動なる幸せを信じてください。
合掌