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自分という「取扱説明書」があれば、自分を停止

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なぜ、タイトルのところに書いたのかというと、自分が生まれたときから知的障害者の枠に入っていましたから、人から見ると違和感はあったのだと思いました。

知的障害者は全員ではありませんが、言っても直らない(治らない)、自分のことにとらわれたり、人に迷惑をかけることを知らない、怒られても、注意しても、教えても、まともに理解できないなどがありますから、直らないとか、働けないと言われてもしょうがないですよ………

生まれ変わった方が私としてはまだましです。生まれ変われるなら、風になりたいです。 
人の本音も読め慣れたら、うまく行きそうなのに。 でも、アニメや漫画キャラクターや美男美女は、羨ましいです。
一時期羨ましい人には、嫉妬を抱いてました。(無駄な時間だけど…)

後、もうひとつは、人を受け入れることが、できないんです。自分のことも。

どうしたら、家族や人に迷惑をかけない人になれますか?
妙好人とはなんですか? 前にハスノハで教えてもらいましたが、忘れました…………

人を受け入れる方法は、ないですか? それがないので、人と家族とうまくいかないんですね。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

目指す姿

拝読させて頂きました。あなたはとても一生懸命に考えて生きていらっしゃるように感じます。あなたが今まで障害を抱えながら沢山のわからないこともあったでしょうし、悲しいことや辛いこともあったでしょうね。そしてご家族の皆さんも辛いこともあったのでしょうね。そう思うと生きていることがとても負担になってしまうでしょう。あなたがおっしゃるように自分の取扱説明書があったならばどんなにか負担が軽くなるだろうかと思ってしまいますよね。あなたのお気持ちを心よりお察し申し上げます。
とはいえ人は大なり小なり未熟であり未完成ですし不安定です。ですからお互いがお互いを思いやり助け合って生きているのです。あなたがご家族の皆さんや周りの皆さんにとって負担をかけているかもしれませんけれどもあなたは様々なことでご家族の皆さんや周りの皆さんに役立っていらっしゃることもあると思います。
人それぞれに理解することや学ぶスピードは違いますから誰しもが全てできるわけではありません。ですから少しずつ少しずつご家族の方々や周りの方々とお話なさりながらお互いを尊重しあい思いやりながら共に少しずつ学んで成長していくことが望ましいと思います。
何でも一気にやろうとすると一杯いっぱいになってしまって本当にはうまくいかないこともあるかと思います。
あなたはとても大切な方です。ですからあせらないでご自分のペースでゆっくりと学び成長なさっていって下さいね。

あなたが様々なものごとに対して憧れを持つことは私は素晴らしいと思います。そうですね。天寿を全うなさった後には風になりたいお気持ちもわかりますね。ゆっくりと人や生き物や自然に温かな風として降り注ぐような風になりたいですね。
妙好人についてもご質問頂きましたが、妙好人は身近な一般の方々の中にあって仏様への篤い信仰心を持ち清い心がけと行いによって人々から尊敬された方々です。
仏教を学んでいく中でつい傲慢になったりおごり高ぶるような方々がいますけれども妙好人の方々は一切そのようなおごり高ぶることなくいつも初心に帰って素直に仏様を信じてお念仏おとなえなさった方々です。
人から馬鹿にされようとも後ろ指さされようとも一切気にすることなくひたすら信心を持って生き抜いて天寿を全うなさり往生なさった方々です。
そのような方々は私達の憧れですし、目指す姿です。あなたも目指して下さいね。

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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「自分」という「取扱説明書」は、仏さまが書かれています。

こんにちは。亀山純史と申します。

「自分」という「取扱説明書」は、仏さまが書かれています。自分では書いていません。それは、私たち一人ひとりは、仏さまから命を頂いているからです。仏さまから見れば、知的障がい者も発達障がい者も居ません。居るのは輝く命を持った一人ひとりです。「障がい」とは、私たちが決めたある基準をもとに言われているだけなのです。たとえば、私たちは自分自身で、鳥のように空を飛ぶことはできません。それをもって、「私たちは障がい者である。」とは誰一人言いません。それは、「飛べないのが当たり前」という基準があるからです。
仏さまがお書きになった取扱説明書には、自分を停止させる機能は書かれていません。それは、人生に正解も不正解もないので、自分を停止させる必要がないからです。たとえば、人生を勝ち組、負け組としているのは、私たちの勝手な判断によるもので、仏さまの目から見たら、そんな判断は全くないのです。
そのような私たちですが、「出来れば人の迷惑にならないように生きたい。」と思いますよね。でも、自分はそんなつもりでなくても、あなたはほかの人よりも多く迷惑をかけてしまうのかもしれません。誰でも、他人に全く迷惑をかけないことは、不可能なことでしょう。そうであれば、迷惑をかけてしまったならば、「ごめんなさい。」「すみませんでした。」人に手助けをしてもらったならば、「どうもありがとうございました。」と、素直に言える人になりましょう。このような言葉は、当たり前のことですが、とても尊い言葉です。そして、「ごめんなさい。」「ありがとうございました。」という言葉は、人を受け入れる第一歩にもなるでしょう。

以上が私からの回答になります。ご相談に十分応えることが出来る回答ではないかもしれませんが、少しでもお役に立てればと思っております。

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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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質問者からのお礼

ご回答、ありがとうございます。

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